本稿第133回「アメリカ留学を振り返って-Memorable Teachers (その1)」と第136回(その2)の続きです。
1969年3月下旬のある日の早朝、Santa BarbaraでGreyhoundに乗りHighway101を北上しました。(*1)Santa Maria、San Luis Obispo、John SteinbeckのThe Grapes of Wrath(『怒りの葡萄』)の舞台Salinas、San Joseなどを通り、夜遅くHayward のダウンタウンに着きました。安宿に入るや、シャワーを浴び、ゆっくり休みました。(*2)
翌朝、通りを行き交う車の騒音で目覚め、そそくさと準備を済ませて宿を後にしました。その日のミッションはただ一つ、住む場所を確保し落ち着くことです。重いスーツケースを抱えてバスに乗り、小高い丘に広がるCalifornia State College at Hayward(略称Cal State Hayward)(*3)のキャンパスに向かいました。Housing Officeを訪れ、Castro Valley市(*4)にある学生用の下宿(boarding houses)を紹介されました。早速電話して訪ねると、テキパキした60代の女性オーナーが空き部屋を見せてくれました。別室にはイラン人の留学生が1人いるとのこと。プール・テーブル付きの共有空間もあり、部屋代も安く即決しました。
イラン人留学生は筆者と同年輩、Cal State Hayward でbusiness を専攻し、レストランでコックをしながら学費・生活費を稼いでいました。愛称はMack。Chevrolet Camaroのconvertibleを所有し、時間が合う日にはCal State Haywardまで乗せてくれ、資金が底を尽きつつあった筆者としては大いに助かりました。
この後3年続くことになるCal State Hayward在籍中、Mackやboarding houseのオーナーをはじめ大勢の老若男女に出会い、助けられ、また、色々なことを教えられました。筆者にとっては別の意味での”memorable teachers”です。社会情勢が荒れていく中、アメリカでの生活を健全に享受する術を教えてくれました。”Memorable Teachers(その4)”では、その内の何人かを紹介します。本稿では、Cal State Haywardで出会った先生を紹介します。
当時のCal State Haywardはquarter制を採り、4月1週目にSpring Quarterが始まりました。UCSBのように、ここでも、留学生用EFLコースが設置されており、 TOEFL®テストとEFL担当者との面談を受け、授業についていける英語力の有無が診断されました。筆者はその能力ありと判断されました。TOEFL テストが600点を超えていたからでしょう。筆者はEnglish master’s programに、M.A.の取得を目標としない”non-objective student”として受け入れられました。同一専攻で同一学位を取れないという州の規約があり、筆者は、既に日本で英文学の修士号を持っており、EnglishでM.A.を取り直すことはできないということでした。
勿論、それは表向き、日本で取得した英文学の修士号は認めない、かといってM.A.の取り直しは制度に反する、という特殊な事情を打破するために取られた苦肉の策であったということでしょう。(*5)また、当時California State College Systemの全部で19キャンパスでは、種々のmaster’s programsが設置されていたものの、Ph.D. programsは設置されていませんでしたから、Ph.D. programの”non-objective student”はありえません。(*6)筆者は、English master’s programの単位として認められる学部upper divisionの授業とmasterの授業を取ることになりました。名目はともかく、外国人留学生の授業料が1 quarterで$50という破格の安さ、(*7)当時の筆者にはこれしか選択肢はなかったのです。
かくして、ここから1972年Winter Quarterまでの約3年間は、英語・英米文学でPh.D.に要するacademic English skillsをしっかり身につけるべく、Cal State Haywardでの武者修行が続くのです。LSUのEnglish Orientation ProgramとUCSBの英文学の授業の時に劣らず、筆者はここでもwritingにこだわり、担当の先生のコメントを求めてしつこいくらい足を運びました。そんな筆者に根気よく答えてくれたのが、 Shakespeare専門のStaniforth先生、古代神話専門のRumburg先生、(*8)そして、世界的に著名なフィリピン人作家N.V.M. Gonzalez先生でした。
他にも、当時のCal State HaywardのEnglish programsには非常に優秀な若手が居ました。25才という若さでUniversity of California, Berkeley(UCB)でPh.D.を取得し、助教授で赴任したばかりの女性がいました。Blondでblue-eyed、映画女優を思わせるように容姿端麗、Jane Austenの作品を取り上げ、研ぎ澄まされた感性で作品を分析していたのが印象的です。
(The Complete Works of Jane Austen)
また、大学1、2年生を対象にした導入的な授業には、UCBやStanfordの大学院に通う多くのteaching assistants(TA)が居ました。筆者はEFLの授業を受けなくてよいことになりましたが、その代わりにこれら導入的な授業も受ける許可をもらい、intensive reading, essay writing, discussionなどのskillsを磨く事にしたのです。The Norton Anthology of English Literature Volume 1 and Volume 2(*9)(1968, W.W. Norton and Company)をテキストに、毎週1回は大教室で教授陣がオムニバスで担当するlectureを受け、残りの2回は、これら TAによる小グループのdiscussion sessionがありました。TAの中には詩人もおり、1970年ベトナム戦争がカンボジアにまで拡大し(*10)、アメリカ各地の大学で学生によるストライキが起きた時には、演説の代わりに自作の詩を披露していました。創作意欲が高い新進気鋭の集団でした。(*11)
(The Norton Anthology of English Literature, Volume 2)
Quarter制度は忙しく、1日で授業登録を済ませると、すぐに授業が開始しました。Mackの赤いCamaroに乗り小高い丘の上にあるCal State Haywardのキャンパスに行く日々が続きました。設立して約10年足らずのキャンパスには、教室棟、小さな図書館、キャフェテリア、事務棟が点在するのみで、ほぼ全学生が自宅から通うcommuter schoolであった為に周辺には広い駐車場が整備されていました。UCSBのようなcampus townは無く殺風景で、筆者は授業が終わると夕方6時ごろまで図書館で勉強し、バスを乗り継いで帰宅しました。(*12)
Cal State Haywardで最初に取った授業の一つが、Staniforth先生が担当するBibliographyという授業でした。English master’s programでは最初に取らなければならない必修授業です。これは後々非常に役に立った授業で、本コラム第125回「Writing Style Guides-アメリカの大学・大学院におけるEssays, Papers, Theses, DissertationsなどのWritingに必須!」で取り上げたwriting styles、及び、研究に要するbasicsを教えてくれました。
Staniforth先生は、40代の女性で、声をやや震わせながらゆっくりと噛みしめるように話しました。履修者は約10名、筆者以外は全員アメリカ人で、高等学校で日本の国語に当たるEnglishの教職を探している人、あるいは、既に教職に就き、教えながらM.A.を取ってステップ・アップを目論む人のどちらかでした。今でも憶えている課題の一つに、指定された10個の項目に関する文献を特定し、内容の要約(abstract)をつけて報告せよというのがありました。
聞いたことがないかなり専門的で絞られた項目ばかりで、Cal State Haywardの図書館では間に合わずに全米1位の蔵書数を誇っていたUCBの図書館に何度も通いました。(*13)現在ならインターネットで検索できることが、当時は手間暇費用を掛けなければなりませんでした。授業ではそれぞれが書いた要約(abstract)をもとにdiscussionします。留学1年経ただけの筆者の英語力ではついていくのが精一杯、それでも、それなりの情報を提出できました。
この授業の目標の一つは、各自が修士論文に考えているテーマに関する文献リスト(bibliography)を作る事でした。筆者はピューリタン文学の傑作John BunyanのThe Pilgrim’s Progressを研究していたので、それに関する詳細なbibliographyを仕上げたと記憶しています。授業では、アメリカの英米文学でアメリカModern Language Association(MLA)が使用するwriting manualを基に、(*14)引用の仕方、bibliography、referencesの書き方、abstractの書き方などを細部に至るまで厳しくコメントをしてくれました。この授業を受け、日本で執筆した学部卒業論文と修士論文に付した参考文献など、全く自己流で体をなしていなかったことがよく分かりました。”Memorable Teachers(その1) “で、筆者が提出したアメリカの大学院の志望書(statement)と推薦状が真っ赤に直されていたと述べましたが、こうしたbasicsに関する直しもありました。(*15)
(筆者が留学前に日本で読んだBunyan作品集)
Staniforth(*16)先生は、この授業以外にShakespeare関係の授業を担当していました。日本の大学でShakespeareの授業を取り、原書で何冊か読んでいたこともあり、履修することにしました。ただ、日本の大学での通年授業では、1年掛けて、The Merchant of Venice , King LearとTwelfth Nightの3冊を部分訳しただけで、それに対し、この授業では1 quarterで、Shakespeare The Complete Works(1948, Harcourt, Brace, & World, Inc.)に収められている悲劇、喜劇、歴史劇の主要作品からソネットまで読まなければなりません。月・水・金の授業ごとに1作品を読んでdiscussionし、学期中2つのpapersと2つのessayテストが課せられました。目から火が出る思いで、やっとついて行きました。
(Shakespeare The Complete Works)
そんなある日、この授業で最初のpaperが返却された際にアポイントメントを取って先生のコメントを聞きに行きました。確か、B+と評価され、各所に直しがありました。先生は、コメントし終えると、書棚から日本のある大学から送られてきた紀要集を取り出し、英語で書かれたアメリア文学に関する論文を開けてこう言いました。
English-wise and even content-wise, your paper is much better than this gentleman’s.
LSUでのMr. Millerのwriting の授業、UCSBでの2つの授業の効果が現れたのでしょう。筆者がこれまでの経緯と今後の抱負を話すと、先生はさらに懇切丁寧に英語を見てくれるようになりました。
Rumburg先生は、小柄で明るい感じの40代半ばの女性で、心地良いジョークを挟みながら、澄んだ声でやや早口で軽快に話す姿が印象的でした。先生は古代エジプト、メソポタミア、ギリシャ地域の神話に関する授業を担当していました。旧約聖書の創世記(Genesis)にあるノアの箱舟の話は、メソポタミア地方の神話に大いに関わり、ヘブライ人の祖先アブラハムもメソポタミア南東部のウルの出身です。筆者はプロテスタントの信者でもあり、欧米文化を知り、かつ、英米文学を理解するには、聖書やギリシャやローマの神話をしっかり勉強したいと考え、先生の全授業を履修しました。正確な名称を忘れましたが、古代エジプトとメソポタミアの神話の授業とギリシャ神話の授業と聖書(特に旧約聖書)を扱うBiblical Literature(聖書文学)と称する授業の3つでした。どれも古代作品を扱いながらもとても新鮮でした。
エジプトとメソポタミアの神話に関する授業では、The Epic of Gilgamesh(1960, N. K. Sandars, Penguin Classics)やBefore Philosophy(H. Frankfort, et al. Penguin)など複数の本を読みました。ギリシャ神話に関する授業では、ホメロス(Homer)の、The Odyssey(Penguin Classics)、The Iliad(Bantam Books, Inc)などを読みました。”Biblical Literature”ではThe Oxford Annotated Bible: Revised Standard Version (1962, Oxford University Press)の中からGenesis(創世記)やJob(ヨブ記)など、特に文学としての定評が高く、メソポタミア地方の神話的要素が濃い箇所を拾い読みしたと覚えています。
(The Epic of Gilgamesh , Before Philosophy)
(The Odyssey, The Iliad)
非常に人気がある授業で、大学院生と学部高学年が入り混じり、小教室には30名の履修者が立錐の余地もないほど詰め掛けていました。筆者は高校生の時に洗礼を受け、慶應義塾大学では1、2年次に聖書研究会のクラブに所属し、聖書についてかなり勉強しました。クラブのリーダーは倫理哲学学科の博士課程の先輩で、ヘブライ語と古代ギリシャ語に長け、旧約聖書をヘブライ語で新約聖書をギリシャ語で読みこなし、キリスト教神学についてはかなり博識な人でした。その先輩が聖書について解説してくれたことが、Biblical Literatureの授業で役立ちました。平均的なアメリカ人はそれほど聖書を知っているわけではなく、日本人の筆者が何故そこまで知っているのかと驚かれたことがありました。
(The Oxford Annotated Bible)
Rumburg先生は小柄で若々しくいつもニコニコしているので、さぞかし授業は易しいのではと思うと大間違い、Staniforth先生の授業に劣らずとても厳しい授業でした。(*17)神話の解釈をめぐり活発なdiscussionが止まることなく展開されます。Myth(神話)とreality(現実)という現実社会にも当てはまるテーマで、いかようにも解釈でき、正解はありません。どのように解釈し、どのようにそれをサポートするかが求められました。これら3つの授業を通して筆者のdiscussion能力はかなり成長しました。
先生は学生が提出したpapersを細部に亘りコメントして返してくれました。筆者が返されたpapersを持って先生のオフィスに行くと、更に細かくコメントをしてくれました。筆者の手元には、”Honor;the focus in Homer’s description of Achilles, Agamemnon and Amphimedon in the Odyssey”と題するpaperが一点だけ残っています。”Some good thinking! Try to economize your writing, which sometimes overlaps quite a bit.”とのコメント付きで、 A-と評価されています。1971年3月と日付がありますから、渡米して3年目に書いたpaperです。クラスで1位か、2位のpaperでしたが、今見るとタイトルを含めて全面的に直したくなり、AではなくA-と評価されたのも納得です。
(Rumburg先生の授業で提出した筆者のpaper)
英語にこだわる筆者の野望は限りなく、文芸創作(creative writing)にも目が向きはじめました。当時のSan Francisco市にはAllen GinsbergやWilliam Carlos Williamsらの詩人が活躍したCity Lights Bookstoreがあり、San FranciscoとBerkeleyは、詩、小説、映画、演劇などの創作活動のメッカでした。結果、文芸創作(creative writing)が人気を博し、文学批評(literal critique)も魅力的なジャンルですが、そちらも覗いてみたくなりました。すると、なんと、フィリピン人の著名作家N. V. M. Gonzalez(*18)先生がAsian Literature関連の授業を担当していたのです。(*19)
(Guinzbergの詩集Howl)
Gonzalez先生は、アジアの言語、文化、文学に強い関心を持ち、アジア文学の素晴らしさを作家の目で訴えていました。ある日、川端康成のSnow Country『雪国』とThousand Cranes『千羽鶴』を読んだ授業後、先生は立ち話をしながら筆者に、”You are a Japanese, aren’t you? Why, then, English literature? You should pay more attention to Japanese literature.”と言われました。川端康成はその直後の1972年にノーベル文学賞を受賞しました。ほか、New Writing from the Philippines(1966, L. Casper, Syracuse University Press)やThe Mentor Book of Modern Asian Literature(Mentor Book)などをテキストにアジアの現代作家の作品を集めたテキストを読みましたが、先生自身の傑作The Bamboo Dancersに焦点を当てた授業はまさに圧巻でした。
(New Writing rom the Philippines, The Mentor Book of Modern Asian Literature, Snow Country )
The Bamboo Dancers, N.V.M. Gonzalez
あたかもその場で書いているかのように情景を再現し、文学批評を超えた創作の世界に誘ってくれました。1915年生まれで、当時は55歳前後、何時もスーツとネクタイ姿で、小柄でとても温厚、中庭の芝生の上で学生達と立ち話をしていたのが印象的です。私には、英文学に絞らず英語という言語に目を向けるようにアドバイスして下さり、後に言語学(英語学)に関心を向かわせるきっかけになりました。文芸創作(creative writing)は言語・コミュニケーションがあって初めて成立することを教えてくれました。
もう一人、忘れられない先生がいます。次回でもお話ししますが、筆者は、とあることから、Cal State HaywardでJapaneseを教えることになりました。というよりは、Japanese programを作ってくれ、と依頼されたのです。Cal State Haywardに行って1年くらい経った頃です。日本にいた時に英語の家庭教師をした以外、教えたことはありません。ましてや、日本語を教えるなぞ初めてです。そこで日本で第二外国語として取ったフランス語を取り、ベテラン外国語教師の教え方も同時に学ぼうと思いました。博士課程に進んだ時に、英語以外にもう一つの外国語能力テストを受けるということでもあり、履修することにしました。
フランス語は女子学生に超人気で、履修者のほとんどが女性でした。筆者は初級フランス語を登録し、フランスから帰国したばかりの若い女性の先生のクラスに配属されました。筆者は学部と大学院でフランス文学の授業も取り、原書で多くの作品を読みましたが、訳読でしたから会話は情けないくらいダメ。LSUのEnglish Orientationでの英語の授業のフランス語版での再現です。先生は、英語で文法構造を説明すると、pattern practiceを何度も繰り返し、先生の質問に答えさせます。使用テキストはLa C l é Du Fran çais(1970,Leo L. Kelly, The MacMillan Company)で、良くできたテキストでした。
(La C l é Du Fran çais)
クラスメートの殆どは1年生、みるみる内に発音が良くなります。ところが筆者ときては全く進歩無し!しかし、名前を失念しましたが、先生は言えるようになるまで何度も繰り返してくれました。母語の使用を極力減らし、できるだけ対象言語を使って教えるさじ加減を教えてくれました。
そんな筆者ですが、フランス語の文法に関しては他を寄せ付けません。文法などの筆記テストになると満点です。授業が進み、簡単な小説を読む段になると全く問題がありません。恐らく、フランス語の先生たちの間でも筆者は話題になっていたと思うのですが、ある時、先生は、”Mr. Suzuki, you are such a bad student!”とジョークを飛ばしながら、筆者に筆記テストを返したことがあります。いつも筆者の横に座り筆者の文法テストの成績を知っていた女性が言うのには、筆者が授業中に先生の質問にモタモタしていることしか知らないクラスメイトの中には筆者のことを気にかけ、”I feel sorry for that Japanese guy.”と言った人がいたとのこと。懐かしい思い出です。
Cal State Haywardで会った先生方から得た貴重な知識は、本格的に学位取得を目指す段階に、非常に役立ちました。次に進学したUniversity of Hawaiiの大学院修士課程では、修了必要30単位中6単位分をCal State Haywardで取ったいくつかの授業が認められて埋めることができ、最終目標の博士課程(Georgetown Universityでの)への道筋を早めてくれました。単位もそうですが、そのための英語力と学力の基礎を築いてくれました。Cal State Hayward を中心にSan Francisco Bay Areaでの体験は、筆者自身の20代の人格形成期にどれだけ多くの影響を与えたかは筆舌では尽くせません。Cal State Hayward 時代には、これら先生方だけではなく多くの人々から多くのことを学びました。筆者にとっては全員がその意味では先生です。本稿の冒頭では、最初の数ヶ月に出会った人達に触れましたが、その後、更に多くの人達とかけがえのない貴重な体験を共有しました。次回のMemorable Teachers(その4)で紹介します。
(2019年12月11日記)
(*1)アメリカでは”highway”は一般公道で、高速道路ではありません。高速道路は”freeway”と言います。多分、信号が無いのでそう言うのでしょう。車社会アメリカのfreewaysは一部を除いて無料です。
(*2)”Downtown Hayward 1960s“
(*3)その後California State University, Haywardに変更し、現在は、California State University, East Bay. “California State University, East Bay“当時California State CollegeはCalifornia州全域に19キャンパスありました。現在の California State University Systemについては、”The California State University” でチェックできます。University of California Systemとは違います。”The UC System“をチェックしてください。
(*4)”Castro Valley“閑静な住宅街でした。
(*5)アメリカは情報社会です。今も昔も変わりません。各大学は留学生の国別や出身大学別の成績データの記録を持ち、それに基づいて外国の主要大学のランク付けをしています。一説ではA~Fで評価すると聞きました。1970年代に日本から多くの留学生が全米各地の大学に行き、各分野で良い成績を残しました。そうした背景から日本の主要大学のランキングも上がり、1980年代にはどの分野でも日本人留学生を積極的に受け入れるようになったと考えられます。
(*6)現在では、全部で23キャンパスあり、幾つかのキャンパスに限りdoctorate programsがあります。”Search CSU Degrees, The California State University“
(*7)現在はCalifornia州の財政は逼迫しており、”Campus Costs of Attendance”を見ると、1単位$396です。それでも、master’s programなら修了まで48単位を取る事になっており、約$19,000で、2年で修了するとしたら、各年24単位、約$8,500という計算になります。日本の私立大学の大学院の授業料とほぼ同程度です。
(*8)Rumburg先生はその後姓をKrafchickに変更しました。
(*9)The Norton Anthology of English Literatureアメリカの大学で英文学専攻を考えている読者は是非読んでください。
(*10)”The Vietnam War, The Invasion of Cambodia“
(*11)当時のSan Francisco Bay Areaは、学生運動の中心地で、BerkeleyのUCBには活動家が集まりました。当時の州知事の(後の大統領)Ronald Reagan氏は、UCBからそうした学生を追い出すためにUC全キャンパスの授業料を上げ、追い出された優秀な学生はCal State Haywardなどに移籍したと聞いています。これらTAの多くは元UCB大学院生であった可能性が高いです。
(*12)アメリカのバスは市営バスが多く、市内なら何度乗り換えても料金は同じでした。乗るときに料金を払い乗換券(transfer)を貰います。これは日本でも採用すべきです。路線を変えるたびに払っていたら大変な金額になり、その分、人は車に頼ってしまったり、車がない人は出不精になったりしてしまいます。ちなみに乗換券は一日有効です。
(*13)映画”The Graduate”で出てくる図書館のシーンはUCBの図書館です。
(*14)”Formatting a Research Paper“The MLA Style Centerを参照してください。また、上述の本コラム第125回も参照してください。
(*15)帰国し赴任した慶應義塾大学経済学部で英作文の授業を担当し、writing stylesのbasicsを教えられていないことが学生にとってブレーキになっていることに気づきました。その後の慶應義塾大学SFCおよび立命館大学生命科学・薬学部ではしっかり教えました。
(*16)Staniforth先生は、Shakespeareの専門家で、Shakespeare劇をよく見に行かれていました。当時の先生の関心テーマはShakespeare作品に必ず登場するfoolsでした。
(*17)California State University, HaywardのEnglish Departmentの成績評価は非常に厳しかったです。当時のアメリカ人はオープンで”What did you get for English 701?” “Oh, I’ve got a C. How about you?” “I had a B.”などといった会話があちこちで交わされるのをよく聞きました。ですから、クラス・メートの成績が分かりました。大学院生は平均B以上を要求されていたので、留学して一年足らずの筆者は大変苦労しました。
(*18)”N.V.M. Gonzalez“
(*19)あるいはComparative Literature (比較対照文学)として設置されていたかもしれません。Creative Writingと称する授業もありましたが、この著名な作家の授業がそれに代わるものと思い履修しました。正解でした。
上記は掲載時の情報です。予めご了承ください。最新情報は関連のWebページよりご確認ください。
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