第172回 Halloweenで賑わうMassachusetts州Salemで17世紀末に起きた魔女裁判

 

アメリカ留学中楽しんだHalloween

本稿が出る頃には日本でもHalloweenで賑わっていることでしょう。アメリカではRanked: Best Cities for Halloween(Insider)にリストされた New York City、Boston、Los Angelesなどの大都市だけではなく、Top 10 Halloween Towns to Visit in the USA(Storage Space)にリストされたスモールタウンも負けず劣らず注目されます。アメリカ留学中は筆者も仮装してあちこちのパーティーに招かれましたが、本場アメリカ人のセンスには敵いません。物置から古びた道具やら服やらを引っ張り出し、それぞれ細工を凝らして仕上げるのです。ユーモラスというかシュールというか真似できるものではありません。

でも油断していると、筆者の友人たちが仕掛ける「恐怖の罠」にはまってしまいます。カリフォルニア滞在中の1971年Halloweenパーティでのことでした。夜中過ぎに怪談話が始まり、それでは物足りないとばかりに近くの墓地で肝試しをしようということになりました。10名ほどの男女が2台の車に乗り峡谷(canyon)の見捨てられたような墓地に向かいます。昼間でも近づきたくない場所です。車を降りてあちこちを歩き回り最初に逃げ帰った者が負けです。

それは表向きの話し。お化け嫌いな筆者を置き去りにしようと事前に決めてあり、そんなことを知らずに臆病な筆者は2、3分で我慢の限界。慌てて戻ると車が無いではありませんか!筆者の絶叫“Xxxx!”が夜空をつん裂きます!すると隠れていた悪友たちは車のライトをハイビーム(high beams)にして筆者を照らし出すと言う仕組み。黒澤明監督「7人の侍」(Seven Samurai)の菊千代(三船敏郎)姿で仮装をしたつもりが、名優左卜全演ずる村人与平みたいなヘッピリ腰で無様に立ちすくむ筆者。みんな手を叩いて大爆笑です。[1] Halloween仕立てのpractical jokeに見事引っかかりました。この時期になると思い出します。

 

Halloweenで人気のSalem、その植民地時代には魔女狩りが

話を本題に戻しましょう。Top 10 Halloween Towns to Visit in the USA(Storage Space)におけるHalloween一番人気のスモールタウンはMassachusetts州Salemです。Salem is Overflowing with Spooky Season TouristsとかHalloween Village-The Witches’ Tradeshow-Danvers, Massachusettsなどのサイトその盛況ぶりが窺えます。

Halloweenの起源は古代ケルト人のSamhain祭りに遡り、長い歴史の中で形を変えながら現代に伝わっています。Joshua A. Mark 氏のHistory of Halloween (2019 World History) がその変遷の歴史を分かり易くまとめています。TOEFL iBTテストの受験する読者は是非読んでみてください。“Listen to this article”もクリックして聞いてみましょう。

この記事の項目“Coming to North America”に“When the British came to North America, they brought these traditions with them. The Puritans of New England, who refused to observe any holidays which might be associated with pagan beliefs –”とあります。ここから本稿の本題は始まります。

Halloweenは、今でこそ賑やかな年中行事になりましたが、そのいわばメッカの一つになったSalemは、17世紀後半にはピューリタン/清教徒The Puritans (history.com editors)が住むマッサチュセッツ湾植民地Massachusetts Bay Colony(Britanica)の街の一つで、魔女狩り(witch hunting)で悪名を馳せた町であったのです。魔女に変装して通りを闊歩するなど考えられません。

(Massachusetts Bay Colony , Wikipediaより) 

 

分離主義的な巡礼者/ピルグリム(Pilgrims)と穏健なピューリタン(Puritans)の違い

Puritansと言っても厳密には、Mayflower号でPlymouth Colony(History. COM Editors)を築いたピルグリム・ファーザーズPilgrim Fathers(Britanica)と称される巡礼者/Pilgrims(Britanica)と、それ以外のピューリタンPuritansに分かれます。上記記事の What’s the Difference Between Puritans and Pilgrims? によれば、巡礼者Pilgrimsは厳格な清教徒で、英国国教会Church of England(Britanica)がカソリックと袂を分けたものの、カソリックの伝統、儀式(例えば、十字架、讃美歌、洗礼baptism、祈祷書Book of Common Prayer、法衣など)を踏襲しているとして反旗を翻し、迫害されて一旦はオランダに移住した後にMayflower号でPlymouth Colonyに移住した分離主義者(separatists)を指します。他方、それ以外のピューリタンPuritansは英国国教会とは分離せずに内部から改革しようとした穏健派で、国教会の伝統もさほど厭わず、元々裕福な商人階級の人が多く、アメリカの土地を購入し、先住民と交易するなどして益々裕福になり、[2] 10年足らずで植民地の人口は1,000人から20,000人に膨れ上がったとあります。

巡礼者Pilgrimsには教育を受けた人が多く、厳格であるゆえに排他的で孤立したようです。Christmasでさえ世俗的行事として敬遠したと言われています。移住直後の冬は食糧不足に陥り、原住民族の人々の助言でとうもろこしや七面鳥で飢えを凌ぎ、翌年はそのことに感謝して感謝祭Thanksgiving Day (Britanica)を開きました。これを記念して毎年祝うことになり、やがてChristmasに並ぶ年中行事になりますが、そこまでの発展させたのは巡礼者Pilgrimsではなくそれ以外のピューリタンPuritansの末裔であったと推察できます。Halloween(それに復活祭Easter)はどう思われていたでしょうか。今回は推察の域を出ませんが、恐らく、穏健なピューリタンPuritansでさえ古代ケルト人のSamhain祭りに由来するHalloween など受け入れなかったでしょう。ましてや、Christmasのみならず感謝祭Thanksgivingにも消極的であった巡礼者Pilgrimsにとって口にするだけでも悪魔の所業と見做したことでしょう。

 

Salem Witch Trialsと事件当時のSalem

1692年2月から1693年5月にかけてMassachusetts Bay ColonyのSalemで、魔術(witchcraft)を掛けたとして200名以上が捕らえられて裁判に掛けられ、30名が有罪となり、そのうちの女性14名と男性5名の計19名が絞首刑に処せられるという悲惨な事件が起こります。世に言うセイラム魔女裁判 Salem Witch Trialsです。処刑された19名以外に、罪状認否をしなかったために拷問されて死亡した1名(Giles Corey)と獄中で死亡した5名がいました。Massachusetts Bay Colonyでは入植以来しばしば魔女狩り(witch hunt)が繰り返されていたようですが、この事件以前の100余年で処刑されたのは女性14名と男性2名の計16名との記録があります。この事件では1年足らずに19名も処刑されたわけでその異常さが際立ちます。

当時のSalemはSalem Town (現Salem)とSalem Village(現Danvers)があり、近隣のAndoverTopsfieldでも多くが逮捕されましたが、事件発祥地のSalem Villageにおける数はそれをはるかに凌ぎました。逮捕されるとSalem Townの裁判所に送られ、判事の下で裁かれ刑が執行されました。当時のSalem Villageの村人は怒りっぽく(fractious)、村人同士の不和は日常茶飯事、周囲のコミュニティー(とりわけSalem Town)との間で境界線(property lines)、放牧権(grazing rights)、教会特権(church privileges)を巡る争いが頻発し、周囲からは喧嘩好きな(quarrelsome)コミュニテイーと評されて敬遠されたようです。魔女狩りはSalem Townや他のコミュニティーでも起きましたが、特に孤立した Salem Villageで度を過ぎて繰り返されたであろうことは容易に想像できます。Salem Villageには分離主義的で排他的な巡礼Pilgrimsの末裔が多く住んでいたからでしょう。

 

事件の経緯を追う

Salem Witch TrialsのサイトにおけるInitial eventsOverviewSpectral evidenceTouch testOther evidenceなどの項目に事件の経緯、詳細が記されています。New England植民地時代に起きた事件を民衆の目線で描いており、アメリカ史を再考する上で貴重な資料です。[3]読んでみましょう。難しい用語がありTOEFL iBTテスト上級レベルのリーディングです。以下概要です。

Salem Villageで1692年2月、Samuel Parris牧師の9才の娘Betty Parisと11才の姪が、「てんかん発作や自然の病を超えた」[4]発作に見舞われます。

Deodat Lawson前牧師は少女たちが奇声をあげ、家具の下を這い、独特の姿勢で体をよじ曲げたとの目撃情報を寄せます。少女たちは針のような物で刺されたと言いますが、村医はそのような形跡はなかったと述べています。しばらくすると他の少女たちにも同じ症状が現れ、Lawson前牧師自らも奇声を聞いたと証言します。

そして、Sarah GoodSarah OsborneTitubaら3名の女性がこうした症状を引き起こしたと疑われ逮捕されます。Sarah Goodは、極貧で立場が弱く、「天国に導くのではなく地獄へ落とす」かのように子供を叱り、ピューリタン的自制心に欠けているとして一方的に魔法使い(witch)の烙印を押されていました。Sara Osborneは、教会に集うことは稀で、出入りする使用人と再婚し、前夫が息子たちに残した遺産を横取りしたなどとの噂を立てられていました。Titbaは西インド諸島出身の奴隷で、この村では異人種で異文化の女性です。西インド諸島に伝わる魔法話 (Malleus Maleficarum)をBetty Parrisらに話して魔法をかけたと訴えられます。これら3名の女性は、ピューリタン社会では異質で、社会的、経済的な地位が低く、抵抗する術も無く、噂だけで魔法使い(witch)のレッテルを貼られたのです。

これを皮切りに、Salem Villageをはじめ周辺の村々でも、多くの人々が次々に魔法を掛けたとして訴えられます。村の下級判事(the magistrate)に訴えられ、投獄され、Salem Townの裁判所の法廷(The Court of Oyer and Terminer)で裁かれました。霊的証拠(spectral evidence)、発作に罹った人に触れさせて発作が引くかどうかを確かめるタッチ・テストtouch test、悪魔の印としたほくろ(moles)やあざ(birthmarks)などの検視が主たる証拠です。

しかも弁護人無しで被疑者本人が弁解(plea) しなければなりません。81才のGiles Coreyはあまりにも無謀な逮捕に抗議し弁解(plea)を拒否したので体に石を置れる拷問にかけられ悲惨な死を遂げます。恐怖のあまり、罪状通り同意し、かつ、全く関係もない人の名を挙げ釈放されたケースもありました。被疑者を擁護したり被疑者の関係者であったりすると嫌疑かけられてしまうのです最初はまさか訴えられないと思っていた教会メンバーはおろか牧師までも告げ口され逮捕されます。こうしていたいけな5才の少女を含む罪なき19名が魔術を使ったと訴えられ処刑されてしまうのです。何かとトラブル続きのSalem Village2つの家族対立2分され喧嘩が絶えなかったようで、この件でも互いを訴え合ったと想像します 

List of the People of the Salem Witch Trials Wikipedia)に処刑された犠牲者19名が処刑されるまでの経緯が記されています。クリックしてください。 

Bridget Bishop,  Sarah Good,  Rebecca Nurse,Elizabeth Howe, Susannah Martin, Sarah Wildes, Rev.George  Burroughs,George Jacobs Sr.,Martha Carrier, John Proctor, John Willard,Martha Corey(wife ofGiles Corey), Mary Eastey, Mary Parker, AliceParker, Ann Pudeator, Wilmot Redd, Margaret Scott,  Samuel Wardwell Sr.,

日本では元禄時代(1688-1704)只中、徳川綱吉による殺生を禁じた「生類憐れみの令」[5]が発令された頃の1692年、太平洋の向こうの北米大陸の東部Massachusetts Bay Colonyではこんな悲惨な出来事が起きていたのです。 

 

Salem出身のNathaniel Hawthorne著The Scarlet LetterとSalem Witch Trials

この事件の主たる原因はピューリタン入植地Massachusetts Bay Colonyにおける排他主義(separatists)であることは間違いありません。事件の影響は100年後のアメリカ文学巨匠Nathaniel Hawthorne (Britanica 1804-1864)が活躍した19世紀にも暗い影を残していました。HawthorneSalemで生まれ育ち、その後New Englandの各地を転々としてSalemに戻り傑作The Scarlet Letter(1850)[6]を執筆します。Salem Witch Trialsが起きた17世紀 New Englandで大衆の面前で不倫を裁かれ姦淫(adultery ) の頭文字Aの緋文字を衣服に纏わされ、生まれた子供(少女)と生きなければならない女性Hester Prynneが主人公です。名作です。アメリカ社会を知る上では必須です。 

The Scarlet Letter(Signet Classic Third Edition 1960)

Hawthorneの先祖は17世紀から代々Salemに住み、曽祖父William Hathorneは、Quaker教徒の女性を鞭打ちの刑に処した下級判事(magistrate)の一人で、正統派ピューリタン教義の信奉者(多分separatist)で、その息子John1692Salem Witch Trialsの3人の裁判官judges)の一人でした。Nathaniel Hawthorneが生まれた1804年にはHawthorne家は没落し、父親が死ぬと母型の叔父の家に身を寄せなければならない程没落していたようです。対照的に他の家々が繁栄したのはその報復ではないかとHawthorneは思ったと回顧しています。Hawthorne自身は17世紀の排他的なピューリタン社会への驚きと嫌悪感をこの名作と別の名作The House of the Seven Gables描いています。この事件に対する反省は事件直後から起こりHawthorneが活躍する時代から現代にも続いています。 

 

Halloweenに見るSalem Witch Trials犠牲者のメモリアルと名誉回復

アメリカは広大で、New Englandはその一部に過ぎません。その後多くの国々から大量の移民がそれぞれの夢を抱いてあちこちに定住しそれぞれの文化を広げます。魔女(witch)や魔法(witchcraft)に関する考え方も当然変化します。Halloween (Library of Congress Blogs)と称するサイトには、民族多様性がHalloweenを現代のお祭りに変え、SalemHalloweenの聖地のようなっていく経緯が書かれています。今では世界中に広がり、日本でも10月の一大イベントになっていますが、それと共に形も変わっていくでしょう。Salem Witch Trialsで有罪とされた被害者の子孫はその後アメリカ政府に訴えて無罪を勝ち取り名誉を挽回しました。そしてSalemには事件が空洞化しないよう永遠の反省を込めてSalem Witch Trials Memorialsの碑が建てられています。Halloweenが安心して楽しめることを祈りつつ。

(2023年9月27日記)

 

[1] San Francisco湾岸地域の映画館でよく上映されていました。
[2] 移住した直後の冬に食糧不足に陥り、原住民の助言でとうもろこしや七面鳥を取って上を凌いだことを祝す。
[3] 例えば、Robert A. Gross著The Minutemen and their Worldはアメリカの独立戦争をその指導者たちではなく、民兵(minuteman)の視点から再考しています。
[4] 実は、その284年後に発見される convulsive ergot poisoning, に罹ったのではという歴史家の見解があります。
[5] 犬や猫などの動物を大事にするあまり庶民の日常生活に支障が出ました。
[6] 筆者は学部3年生の時に読みとても印象に残っています。アメリカを知る上でとても役立つ名作です。同じ頃書かれたHerman MelvilleのMoby Dickもお勧めします。(小泉八雲)Lafcadio Hernも読んでいたと思われます。

 

鈴木佑治先生
慶應義塾大学名誉教授
N. Yuji Suzuki, Ph.D.,
Professor Emeritus, Keio University

 


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