第173回 Old English(古英語)Modern Englishから想像できない姿、他言語の痕跡も

 

言語の共時的分析と通時的分析

現代言語学の祖Saussure(本コラム第163回参照)は、言語の科学的分析には共時的と通時的(synchronic and diachronic Oxford Reference)の2つの方法があると述べました。歴史言語学(historical linguistics Britanica)は通時的分析方法を採ります。Saussure言語学は共時的分析方法を採り、社会学(sociology)の祖Durkheim(Internet Encyclopedia of Philosophy)に倣い、social fact(ある特定の時期ある社会に共通する社会的事実)としての言語を分析します。言語は時代から時代に移るにつれ少しずつ変化しますが(=通時性)、ある一つの時代を切り取ればあまり変化せずに静止しています(=共時性)。木に例えれば、共時性分析は水平に切った平面全てそのままの状態に、通時的分析は垂直に切った先(現在)から根元(過去)までの変化に焦点を当てるのです。

Saussureは通時的分析を否定しません。どの部分であろうとも水平に切ってその全面を調べさえすれば良いわけです。しかしながら本物の木であれば、どの部分であっても水平に切りさえすれば切り口全体を観ることができます。言語は木ではありませんからそうはいきません。古い時代の言語については数少ない文献しか残っておらず全体像を掴めないので、共時的分析をしようにもできないという現実が立ちはだかるのです。現代言語学はもっぱら現時点の言語態に焦点を当て分析することになります。英語学(言語学による英語分析)も然り、ひたすら現代英語に没頭してきました。ましてや一般の英語母語話者が英語の根っこの部分に当たるOld English(古英語)に接する機会は稀でしょう。初めて文献を見て「え!これって英語?」と驚くのも無理からぬことです。英語学習者にいたってはその存在すら知らないかもしれません。

筆者自身もそうでした。英語教育は現在話されているいわゆる現代英語を習うので当然と言えば当然ですが、中高生ではもっぱら現代英語で、日本語の古文に当たるOld English (古英語)とかMiddle English(中世英語)など触れたことがなくその存在さえ知りませんでした。筆者が勉強した山崎貞の『新自修英文典』などの学習参考書の索引項目にも見当たりません(第171回参照)。したがって慶應義塾大学英米文学科2年生の必修科目「原典購読」で指定されたC. L. Wrenn 著The English Language(1949)を読み、Old English(古英語)、Middle English(中世英語)、Modern English(現代英語)へと続く過程で起きた大変遷を学んで衝撃を受けました。まさに目から鱗、もっと知りたくなり推薦図書として挙げられたSimeon Potter著 Our Language (1950)も夢中で読みました。英語は、Old English、Middle English時代にはマイナー言語であり、主要言語であるギリシャ語、ラテン語、フランス語などの影響を受け、産業革命を経て20世紀になってやっと世界共通語の一つに変貌して行くのです。これは深い!そう感じたのは1963年のことでした。

 

現代英語とあまりにも違うOld English(古英語)

「ローマは1日にしてならず」“Rome was not built in a day.”古代ローマも一日できたわけではなく、ギリシャ影響下で紀元前753年にイタリア系植民地(Italic settlement)として発足し、やがて都市国家に成長します。現在のグローバル社会においてメガ言語となった英語とて同じです。A Brief History of the English language(Oxford)は英語史における3つの時期をOld English(古英語)、Early Middle English(初期中世英語)、Late Middle English(後期中世英語)、Early Modern English(初期現代英語)、 Late Modern English(後期現代英語)、English in the 21 st Century(21世紀英語)と、6段階に細分しその変遷を要約しています。

英語はOld English期より、ギリシャ語およびラテン語のみならず、地政学的(geopolitically)に接触した他言語の影響を受け、[1] その結果、From Old English to Standard Englishと称するサイトが示すように、元の形をわずかに残し大変身した、否、させられた言語なのです。インターネット上にはイギリスの文学的伝統としてOld Englishを教えるべきでは、と質す意見(例:Why is not Old English Taught in schools like ancient Greek or Latin, since it also has a rich literary tradition?)がちらほら見受けられます。そこから、英語母語話者の多くがギリシャ語やラテン語と同様にOld Englishを別言語と考えている

ことが読み取れます。英語がそれほどまでに様変わりしたことを暗に仄めかしています。

 

日本語母語話者にとって古文はなんとか、英語母語話者にとってOld Englishはちんぷんかんぷん

その結果、英語母語話者にとって、Old Englishの文献は見てもちんぷんかんぷん、外国語のように勉強しないと読めるようになりません。Old Englishとほぼ同時期に書かれた古事記、日本書紀、古今和歌集、万葉集などのいわゆる古文は、もちろん現代日本語と違うものの、日本語母語話者なら少々の手ほどきでなんとか分かります。712年太安万侶(おおのやすまろ)によってまとめられた古事記(国立公文書館所蔵)は、万葉かな(音読み/訓読み)で書かれているのでそのままでは無理ですが、ひらかなに直せばどうにか読めるはずです。[2]

 

臣安萬侶言 夫混元既凝 氣象未效 無名無爲誰知其形然乾坤初分參神作造化之首:*臣安萬侶言 👉やつかれやすまろともうす(=わたくしめ安萬侶が申します)

*夫混元既凝氣象未效 👉 それまじりしりはじめすでにこりかたちあらはさず(=さて混沌とした世界が固まり始まりました)
*無名無爲誰知其形👉ななくわざなくたれかそのかたちしらむ(=まだ自然界の大気の形は現れておず、その名前もなく何も起こっていませんでした)

*然乾坤初分參神作造化之首作👉しかるにかあめつち初めて分かれ参神造化はじめとなす(=ところが初めて天と地が分かれて三柱らの神が想像主となりました)[3]

「神道という不思議な信仰」参照

 

100%といわぬまでもなんとなく理解できます。古事記が書かれた約180年後の890年頃、英国ではKing Alfred の命を受けAnglo-Saxon Chronicleが編纂されます。[4]その書き出しです。

 

þy geare þe wæs agan fram cristes acennesse .cccc. wintra ⁊ .xciiii. uuintra, þa Cerdic ⁊ Cynric his sunu cuom up æt Cerdicesoran mid .v. scipum; ⁊ se Cerdic wæs Elesing, Elesa Esling, Esla Gewising, Giwis Wiging, Wig Freawining, Freawine Friþugaring, Friþugar Bronding, Brond Bældæging, Bældæg Wodening. Ond þæs ymb .vi. gear þæs þe hie up cuomon geeodon Westseaxna rice, ⁊ þæt uuærun þa ærestan cyningas þe Westseaxna lond on Wealum geeodon; ⁊ he hæfde þæt rice .xvi. gear, ⁊ þa he gefor, þa feng his sunu Cynric to þam rice ⁊ heold .xvii. winter. Þa he gefor, þa feng Ceol to þam rice ⁊ heold .vi. gear.

 

英語母語話者がこれを見ても恐らく読めないでしょう。The Anglo-Saxon Chronicle (J. A. Giles DC.L)に現代英語の対訳が付されているので読み比べてください。Beginner Old English(Ancient Language Institute)と称するサイト中段で幾つかの表現の発音を聞けるようになっています。試しにクリックして

聞いてください。英語母語話者の多くが聞いても何のことやらさっぱり分からないでしょう。

それに比べ、日本語母語話者なら、例えば、大伴家持(718~785)が詠んだ万葉集の一首、「春の園 くれなゐにほふ 桃の花 した照る道に 出でたつをとめ」(=春の園に 紅く咲いている桃の花、その下で映えている道に 出たつ少女よ)を、声を出して読めるし、聞いても分かります。もちろん万葉集と称するサイトが説明しているように元の万葉仮名は解読が難しく未だ解読できない歌もあるようです。表記問題はさておき古文は現代カナにすると日本語母語話者には大体分かりますが、Old Englishは英語母語話者が聞いても分からないのです。英語でない別言語と思ってしまうのも当然です。

 

Old Englishの言語的特徴(linguistic characteristics)

Old Englishは西暦450ごろから1150年ごろまでの期間にAnglo-Saxon Britainで話し言葉ならびに書き言葉として使われていました。すなわち世界史で習う1066年のNorman Conquest (ノルマン征服)以後の約100年あたりまで使われていたことになります。上述した発音だけではありません。文法構造もModern Englishとかなり違います。以下重要部分を列記します。

名詞、代名詞、形容詞にはOld English Declensionにあるように、まず、性(sex: 女性feminine/男性 masculine/中性neuter)、数 (number: 単数singular/複数 plural)、格(case:主格nominative/属格genitive/与格dative/対格accusative/道具格 instrumental)による語形変化(declension)があります。動詞には、Old English Conjugationにあるように、数、時制(tense: 現在present/過去past, preteritive)、法(mood: 直接法indicative/仮定法subjunctive)による活用(conjugation)があります。

Modern Englishはその一部が残るだけで簡素化されています。最も大きなどんでん返しのような変化は、Modern Englishでは格の語形変化が無くなり語順(word order)に代ってしまったことです。“A cat bites a fish.” と“A fish bites a cat.”では最初の名詞が主格、多動詞の後に来る名詞は目的語と語順で示しますが、Old Englishでは主格と目的格ではそれぞれ違う語形変化をするので極端に言えばどこに来ても分かります。その点「猫シャケを食べた」、「シャケ食べた」、「食べた猫シャケ」のように語順に関係なく格助詞を有する日本語に近いことになります。

 

アメリカ留学中に履修したOld Englishの授業

コラム第152回で述べましたように、筆者も留学中の1975年にOld Englishの授業を履修したことがあります。英語学、英語教育の研究に役立つと思い履修することにしました。テキストThe Element of Old English に加え、盛りだくさんの原典readingsのプリントが渡されました。まるで外国語です。クラスの大部分を占めるドイツ系アメリカ人(German Americans)履修者ら[5]が難なくこなすのを尻目に予習、復習に多くの時間を割きました。

 

 

せっかく覚えたのに今ではすっかり忘れてしまいました。テキストを引っ張り出して勉強し直しです。本連載コラム第170回「Study Abroad Online(前編)」第171回「Study Abroad Online(後編)」で述べたとおり、Old Englishに関しても自学自習できるonlineサイトがあります。Old English Onlineと称するサイトなどがお勧めです。Start From the Beginningの項目をクリックしてみてください。Old Englishの手解きをしてくれます。

 

Old Englishそれは英語がいかに「侵略された」言語であるかを物語る証拠か

現代英語すなわちEnglish in the 21 st Centuryは、母語話者のみならず非母語話者も含め最大の話者を有するメガ言語(languages by the total number of speakers, Britanica)になりました。しかし、Old English時代に遡るとminor languageに過ぎませんでした。Old Englishは純粋なるAnglo-Saxon語であったわけではなく、他言語の影響を受けその侵入を甘んじて受け入れた言語でした。

Old English以降のMiddle English期よりラテン語やフランス語の本格的な影響を受けて更に変化し、[6]Early Modern EnglishそしてLate Modern Englishに至るとOld Englishはあたかも別言語と思われる程に変化してしまった言語なのです。フランス語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語(Romance languages)やドイツ語(Germanic language)など他の西欧言語にはこれほどの大変化は見られません。

「英語帝国主義」ということば耳にしますが、共時的視点で21世紀の英語を観ればその通り、英語が席巻しているように見えますが、このように通時的視点から観ると別の姿が見えてきます。良し悪しは別とし、現在のグローバル社

会で鍵を握るのは、ずばり、汎用性、使い勝手でしょう。もし英語がOld Englishのように名詞や形容詞を女性形、男性形に分けなければならないとしたら、また、動詞を活用させなければならないとしたら、そう簡単に他言語の語彙を導入できなかったでしょう。英語は初期よりギリシャ語、ラテン語、フランス語などの古代、中世、近世時代のメガ言語、そして、周辺民族の言語から語彙を大量に取り入れ、構造上の変革を強いられつつ皮肉にも汎用性を培ったものと推察します。今後は英語の優位性は変わると思われます。英語をpivotal languageとして介せず全言語変種同士を直接交信できるテクノロジーが一般化すれば特定言語の優位性は薄まると考えます。[7]ただ、周知の通り、こうしたテクノロジーとて問題山積で、今や特定言語の席巻から生成A Iテクノロジーの席巻に関心が移りつつあります。

 

(2023年10月21日)

 

[1] 後述の通り、Old Englishは純粋なAnglo-Saxonの言語ではなく、ブリテン島に定着する以前から他言語の影響を受けています。ギリシャ語、ラテン語の影響は言うにおよばず、780年代にスカンジナビア半島よりブリテン島に到来したバイキングより、スカンジナビア語の祖である古ノルド語 (Old Norse)の影響も受けています。Rugbyなど-byで終わる多くの地名がその一例です。
[2] 日本と英国は類似点があります。大陸の近く横たわる似たサイズの島国(日本378,000平方キロ、英国234,600平方キロ)で、有史(歴史)時代もほぼ同じ長さの千数百年、したがって主要言語の日本語と英語の歴史もほぼ同じくらいです。それぞれ古代に書かれた文献は日本語では古文、英語では古英語(Old English)ですが、現代の日本語話者にとっての古文と、英語話者にとっての古英語は全く違うのです。
[3] 旧約聖書創世記1章に描かれて天地創造の話と似ています。
[4] The Anglo-Saxon Chronicleを参照してください。
[5] Washington D.C.に近いPennsylvania州はGerman Pioneersが開拓したと言われています。筆者の友人のC. Knipe氏もそうでしたが英語・ドイツ語バイリンガル話者が多く住んでいました。
[6] Early Middle Englishの一文献に、ブリテン島の修道僧がOld Englishで書かれた手紙に接し「この言語は読めないから(共通言語の)ラテン語で書き直せ」と送り返したとの記録があるそうです。
[7] 第166回/167回/168回/169回を参照してください。言語相対性がもたらす翻訳(人によるものであれ機械によるものであれ)の相対性について私見です。

鈴木佑治先生
慶應義塾大学名誉教授
N. Yuji Suzuki, Ph.D.,
Professor Emeritus, Keio University

 


上記は掲載時の情報です。予めご了承ください。最新情報は関連のWebページよりご確認ください。


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