第147回 アメリカ留学を振り返って-Memorable Teachers(その7): Georgetown University Ph.D. Program in Linguistics

 

第145回(その6)では1973年Fall Semesterについて述べました。飛行に例えれば、滑走・離陸(take-off)のスタートの段階でしょう。幸先の良いtake-offができたものの、慣れない環境の中でのこと、緊張から精神的疲労も極限に達しました。息抜きしたい!という衝動に駆られ、Northern Californiaに向けて車で旅立ちました。道中、記録的大雪は収まることなく降り続け、道路状態も視界も極めて悪く、その上にオイルショックで給油もままならずで、緊張を強いられました。しかし、延々と広がる大雪原を突っ走るという非日常的な体験が、勉学で蓄積されたストレスの解消になったことも確かです。(*1)East Oakland 100th Avenueの親友Jackの実家に辿り着くと、一気に緊張がほぐれ、そのまま長時間爆睡してしまいました。JackとPaulineは日本に出掛けて留守だったので、教職を引退したJackの母親と祖母、Jackの部屋に下宿をしていたJackの幼馴染と筆者の4人で静かなChristmasを過ごしました。

 

(かつてのJackの実家2008撮影)

 

Jackの家に数泊した後、Cal State時代の知り合いの車に同乗してLos Angeles(LA)に向かいました。高校時代に通っていたプロテスタント教会の知り合いが結婚し、LAにいることが分かり、連絡すると是非会いたいとのことで訪ねることになったのです。1964年に婚約中の2人と話したのを最後に消息は途断えており、10年振りの再会です。ご主人はTheological Seminar(神学大学)で博士課程(Ph.D. program in theology)を始めたばかり、互いの勉学やらそれまでの経緯など語り続けました。その翌日、バスでSan Diegoに向かい、大学時代に通った教会で知り合った家族に会いに行きました。ご主人はSan Diego海軍基地に勤め、夫人と2人の子供さんの4人家族、Cal State在籍中には何度も訪れて気心の知れた仲です。数日を楽しく過ごし、LAに戻りました。その道中でのこと、筆者らのバスが突如道路脇に停止させられ、メキシコからの不法入国者の取締りの為に検問を受けることになりました。取締官の一人がバスに乗り込むや、それらしき乗客に声をかけ、身分証明書の提示を求めていました。筆者もメキシコから来たマヤ族の末裔と思われたようで、声をかけられ、パスポートの提示を求められました。乗客の何人かはバスを降りるように命じられ、無言で道路脇に立ちすくみ、悲しそうな表情を浮かべていました。複雑な思いに駆られた一コマでした。(*2)LAに戻ると別の知人宅に身を寄せ、数泊した後、格安航空券で極寒のWashington, D.C.に帰りました。

当時のGeorgetownのPh.D. Program in linguisticsには3つの山場がありました。1つ目はPh.D.プログラムに正式に入るためのPh.D. Qualifying Examination for the Ph.D.(Program)。2つ目はPh.D. dissertation(博士論文)を書く資格(Ph.D. candidate)を得るためのPh.D. Comprehensive Examination、そして、3つ目はPh.D. dissertationを書いて審査委員会の審査を受ける口頭試験です。1974年は一つ目の山場となる年です。3月で30歳になり、行く末を考えると待った無しの状況でした。10月にはQualifying Examinationを受け、正式にPh.D.コースを続けられる許可を得て先に進まなければなりません。Spring Semester4科目、Summer School2科目、Fall Semester2科目 + Qualifying Examination for the Ph.D.を履修するという態勢で臨むことにしました。いざ勝負です。Spring SemesterとSummer Schoolでこの試験に必須の全授業を履修し終え(*3)、 Fall Semesterは2科目のみにして試験に集中することにしました。履修授業は次の通りです。

Spring Semester: Introduction to General Linguistics(954200), Introduction to Transformational Grammar(954206), Verb Complementation (954455), Semantics(954484)
Summer School(Session1 & Session2): Bilingualism(955331), Contrastive Analysis(955361)
Fall Semester: Introduction to Tagmemic Analysis(954205), Semantics (954483), Qualifying Examination for the Ph.D.

かくしてSpring Semesterが始まりました。Californiaでの息抜きで予想以上に出費してしまった為、懐具合は逼迫し、金欠状態です。セメスターの授業料を払うとスッカラカンになり、すぐさま学生寮のキャフェテリアで働き始めました。パート・タイマーは筆者以外全員学部生です。ある日、アフロ・ヘアのAfrican Americanの女子学生とペアでアイスクリーム・カウンターの担当になりました。“I’m Colin.” “Colin, I’m UG.”と紹介し合うや、“Excuse me, but are you a Japanese?”とColin、“Yeah, sometimes.”とジョーク交じりに筆者が返します。するとColinが「違うかなと思ったけど、聞いてよかった」と流暢な日本語で切り替えてきました。聞けば、父親は横須賀の米軍基地で働くAfrican Americanの将校で、母親は日本人、日本生まれの日本育ちということでした。Foreign Service専攻の1年生で利発で笑顔を絶やさない明るい人でした。Colinを含め、GUや近隣のAmerican University(AU)、George Washington University(GWU)に通う日本人留学生や日系アメリカ人と知り合いができたのもこの頃です。後に別稿で紹介します。

かくして1974年Spring Semesterが始まりました。Introduction to General LinguisticsⅡ(954200)はI(954199)に続き、Dinneen先生が担当です。自著An Introduction to General Linguisticsの後半の6章から13章をカバーしました。科学方法論を取り入れた言語の研究は、Charles Darwin著On the Origin of Species(1859)に影響を受けた歴史言語学(historical linguistics)に始まります。Darwinが種の進化の歴史を辿ったように、歴史言語学も言語の歴史を辿りました。こうしてインド・ヨーロッパ言語(Indo-European languages)とかウラル言語(Uralic languages)など、それまで無関係と思われた言語がlanguage familiesとして幾つかの群に分類され、これが語源学(etymology)や比較言語学(comparative linguistics)の隆盛に繋がりました。19世紀後半になると、社会学者Émile Durkheimの影響を受け、歴史を辿る通時的(diachronic)科学方法論に対し、現時点に注視する共時的(synchronic)科学方法論を採る言語研究が芽生えました。そのけん引役を担ったのがFerdinand de Saussureです。現代言語学、そして、記号学(semiology)はSaussureに始まると言って良いでしょう。Dinneen先生は、記号(sign)をはじめ、言語学研究に欠かせないSaussureの諸概念を分かりやすく丹念に説明してくれました。

そして、北米大陸先住民の文化・言語と、ヨーロッパ諸文化・言語を比較した文化人類学者Franz Boaz、および、Edward Sapirに触れました。それから、行動主義(behaviorism)心理学の影響を受けたアメリカ構造主義言語学を代表するLeonard Bloomfield(*4)著Languageを解説しました。更に、Dinneen先生の恩師J. R. Firthコンテキスト理論(contextual theory)、および、Glossematicsの著書Louis Hjelmslevについて講義しました。そこまでを学期前半でカバーし、学期の後半で当時の言語学界をリアルタイムで席巻しつつあったNoam Chomskyの変形文法(transformational grammar)(*5)を中心に、異を唱える諸理論との議論を交えながら講義しました。

全部で24回の授業で出される課題の量が多くて大変でしたが、言語科学(a scientific study of language)が成立する前のギリシャ・ラテンから、中世、現代に至るまでの伝統的な思想も学び、内容が濃い一般言語学序論でした。46年経た今、本稿を執筆しながら改めて振り返ってみると、 Dinneen先生は、古代ギリシャ・ローマと中世の言語哲学から、現代のF. de Saussure、B. Malinowski、L. Hjelmslev、自らの恩師J.R. Firth、Franz Boaz、Edward Sapir、L. Bloomfield、B. F. Skinner、I. Pavlov、J. B. Watson、R. Jakobson、 H. Putnam、J. L. Austin、そしてN. Chomskyらの理論まで、2学期でよくカバーしたものだと感銘せざるを得ません。1970年代の言語学界はChomskyの変形文法(transformational grammar)が、異論を巻き起こしながらもそれ一色という雰囲気が漂っていました。しかしながら、Dinneen先生の授業を通し、いかなる理論も突如出現したのではなく、古今東西どこかで誰かが語ったものの影響があることを学びました。記号論の巨星Umberto EcoもSemiotics and the Philosophy of Language(1984、 Macmillan)で、Saussureの記号という概念は、既に中世の神学者St. Augustineなどが触れており、決して突然出現したものでは無いと述べています。そういう意味でも大変有意義な授業であったと思います。この授業の評価はAでした。

 

 (Linguistics 200での筆者のノートとtake-home examination)

 

Introduction to Transformational Grammar(954206)、Verb Complementation(954455)、Semantics(954484)の3つは、それぞれ、Muriel Saville-Troike先生、本シリーズ(その6)で紹介したRoss Macdonald先生、そして、Michael Zarechnack先生が担当しました。

Saville-Troike先生は、第二言語習得(second language acquisition)が専門で、研究休暇(sabbatical leave)中のWalter A. Cook先生の代講をしたようです。Noam Chomsky著Aspects of the Theory of Syntax(1965, MIT Press)などをベースに授業を進めました。University of Hawaii TESLでのEnglish Syntaxの授業と上記Dinneen先生の授業で得た基礎知識が役に立ち、変形文法をしっかり学ぶことができました。

 

(Transformational Grammarでの筆者のノート)

 

Zarechnack先生は、ソビエト連邦からの移民で、言語学の巨星Roman Jakobson(*6)に師事したようです。Jakobsonは、Chomskyにも影響を与えました。Chomskyは、言語能力(competence)と言語使用(performance)を区別して研究対象を言語能力に絞ったのに対し、Jakobsonはその二つを分けず、コミュニケーションにおける言語の役割を強調し、Chomskyの立場とは一線を画しました。Zarechnack先生は、Jakobsonの考え方を受け継ぎ、その線に沿った意味論とcomputational linguisticsの意味解析を専門にしていました。先生は、毎年、Fall SemesterにSemantics(954483)、Spring SemesterのSemantics(954484)の2つのSemanticsを担当し、筆者は1974年のSpring SemesterにSemantics(954484)を履修し、そのFall SemesterにSemantics(954483)を履修しました。名称こそ同じですが、2つの授業内容は異なり、それぞれ、G. LeechToward a semantic Description of English(*7)と、J. LyonsIntroduction to Theoretical Linguistics(*8)をテキストとして使用しました。2つとも筆者の後々の研究に影響を与えた授業です。言語コミュニケーション論を追究し、コミュニケーション重視の英語教育論の立場を守り続けて続けてこれたのはこれら2つの授業のお陰です。

 

(Semanticsでの筆者のexaminationとquiz)

 

先生は人間味が溢れた人物でした。ロシア語訛りが強い英語でユーモアと皮肉を交えて話すのが得意でした。誰が付けたのかあだ名は“Micky Zicky”です。先生は怒るどころか、気に入っていたようで、自ら進んで口にする始末、先生が作る例文の主語や目的語は“Micky Zicky“で、クラス・ディスカッションになると“Micky Zicky”が飛び交いました。また、かつての東北弁で「シ」が「ス」になるように(お寿司→オスス)、ロシア語ではvとwが逆になり(movieは/mu:wi:/ムーウィー)、それを織り込んで先生の講義を聞くことに慣らされました。(*9)ただし、その先生もGeorgetownで貸家を探しに行った際、そのロシア語訛りのせいで何度も断られたそうです。キューバ危機真っ最中の出来事だったと聞いています。それでもつらぬき通したプライドの高さに敬意を払いました。Jakobsonもロシア訛りの強い英語を誇りにしていたようで、それをあえて守っていたのかもしれませんね。研究室を訪れるといつもニコニコとして迎え入れ、一般意味論についての疑問に快く答えてくれました。それから10数年後の旧ソビエト連邦ではゴルバチョフ氏が頭角を現しますが、Zarechnek先生とあまりにも似ているのでびっくりです。東西冷戦が終わり、先生は生まれ故郷のロシアを訪れることができたのでしょうか。とてもおおらかな先生でした。

1974年Spring Semesterでは、GUに慣れ、授業を通して、アメリカ人、日本人、そして、様々な国々の人々と知り合いになれました。アメリカ人はConnecticut州出身のSteve M、Oregon州Portland市出身のDave B、California州Sacrament市出身の中国系のJackie Y、Hawaii州Honolulu市出身のHawaiianのLaolaniらで、授業終了後には人々でごった返すGeorgetownの街に出て、安カフェの一角を陣取り、あれやこれや話し合ったのを懐かしく思い出します。そんな翌日も朝早く起き、眠気を振り絞りつつトボトボとキャフェテリアまで歩いて仕事をしました。30歳の誕生日を迎えた3月初旬のある日、School of Languages and Linguisticsのブルティン・ボードに、Japanese Departmentで初心者に日本語を教えるTA(助手)を募集している旨の知らせが貼られていました。第139回で述べたように、筆者はすでに教歴があります。給与は$2,500とあります。授業料が賄える額です。何語であれ初心者用の外国語coursesは英語で説明する必要があり、英語力と言語分析力が問われる仕事です。応募したところ、最終面接に残り、見事に採用が決まりました!Fall Semesterから始まります。これでGU博士課程在籍中は給与が支給され、学費が確保されます。これについては、また、別稿で述べます。Spring Semesterの全科目の成績はAで、気分上々で5月中旬から始まるSummer Schoolに臨みました。

Summer Schoolで履修したContrastive Analysis(955561)とBilingualism(955531)は、前後の2sessionsで一つずつ履修した記憶があります。Washington D.C.の夏は耐え難いほど蒸し暑く、授業は暑さが少し和らぐ午後6時から始まりました。6時と言ってもDay Light Saving Time(夏時間)で、実質は1時間早い夕方5時なので陽は高く、耳をつんざく蝉時雨の中、昼間の熱気は建物の赤レンガに染み込み幾分か残っていました。両方とも担当はRobert J. DiPietro先生です。イタリア系アメリカ人で、クラシック・ギターの名手でした。先生の研究室で学生秘書をしていた同じくギター名手であるJackieの話によると相当の腕前のようでした。元ボクサーであったことを証明するかのように、中肉中背の体はがっしりしており、ヒゲ(moustache)を蓄え、気さくでとても愛嬌のある先生でした。

Contrastive Analysisは諸言語の構造上の差異・類似に焦点を当てます。しかしながら使用テキストのLanguage Structures in Contrast(R. Dipietro. 1971. Newbury House)は非常に荒削りで間違いだらけ、筆者自身も幾つかのミスを指摘したことがあります。もっとも、先生はミクロの言語能力の構造(competence)には興味はなく、マクロの言語使用(performance)における話者同士のやりとりに見られる方策(strategic interaction)に関心を持っていました。よって、テキストをそそくさ終え、Bilingualismの授業で使う教材資料を配布し、様々な言語・文化におけるcommunication strategiesとそのシナリオ(scenarios)の比較対照に視点が移って行きました。これら2つの授業はどっちがどっちか分からなくなってしまったように記憶しています。先生が特に関心を寄せたのは、bilingual、trilingualの留学生が普段使うコミュニケーションstrategiesでした。後に出版された代表作Strategic Interactionsには、これら2つの授業で受講者から集めたscenariosが引用されているものと思われます。これらの授業での筆者ら留学生は受講者であり情報提供者(informants)でもありました。特に、アメリカ文化の影響が少ない到着したばかりの留学生が提出するscenariosは大変貴重であったと思われます。(*10)一方、筆者のようにアメリカ滞在歴が長いbilingualの留学生は、母語と英語を使い分けるcode switchingでのstrategiesとscenariosを提供し、耐えず活発なdiscussionが交わされていました。

先生は、社交辞令を嫌い、気さくな性格で、いつも軽装で、Georgetownの街を小さなFiat 500(*11)に、がっしりした体を丸く縮めるように納め、窮屈そうに運転する姿を見かけました。筆者らに会うとピッピと警笛を鳴らし、手を振りながらニコッと走り去って行きました。1980年代になるとUniversity of Delawareに移籍し、何度か来日していたようで、ある研修会で講師をされた直後に連絡を受け、会食したことがあります。相変わらず歯に衣着せぬ饒舌ぶりは健在で、GU時代の裏話を聞かせてくれたものです。

7月中旬過ぎにSummer Schoolが終わると、キャンパスからは学生の姿は消え、夏季英語短期研修の日本人の大学生と入れ替わります。筆者は、西海岸に帰省するJackieのChevrolet Camaro(*12)とDaveのChevrolet Impala(*13)の2台の8気筒の高級大型車を預かりました。1ヶ月以上も放置すると盗難に遭い、電気系統に支障をきたす可能性があったからです。Daveはアパートの鍵を預かり留守中の管理まで頼まれてしまいました。筆者にとってはあちこち車で走ることが出来るわけで、隣接するVirginia州やMaryland州の名所を巡ることができました。26年後、筆者は慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)でCollege of Williams and Maryにおける夏季研修を企画・運営することになりますが、この時、Colonial Williamsburg(*14)を訪れ、この大学とWilliamsburgの町に魅せられたのがきっかけになりました。それ以外にもShenandoah Valley(*15)、Chesapeake Bay(*16) 、Virginia Beach(*17)などなど、喧騒に疲れると訪れた思い出深い場所です。

9月に入り2週目、いよいよPh.D. programへの第一関門、The Qualifying Examination for PhDを受験することになるFall Semester が始まりました。授業と同時に、Japanese DepartmentでTAとしてIntensive Basic Japanese I&ⅡそしてIntensive Advanced Japanese I&Ⅱを教え始めることになります。月曜日から金曜日の午前8時から12時まで、前学期までのキャフェテリアに代わり、外国語用小教室に詰めることになりました。School Bulletinでは、日本語科の主任と筆者が担当することになっていましたが、それは名目上のことで、彼は一度も顔さえ出さず、筆者が全て担当しました。加えて、近くのAmerican University(AU)でも非常勤講師をするよう頼まれ、GUの日本語クラスが終わるとすぐ(AU)に行って教え、とんぼ返りでGUに引き返しました。それから博士課程の授業が始まる夕方まで図書館に篭り勉強です。授業が終了すると図書館に戻り、12時の閉館時間まで居ました。もちろん、週末は終日図書館で、まさに、貧乏暇無しです。こうなることを見越し、Summer Schoolで2コースを取っていたので、この学期の履修授業をIntroduction to Tagmemic AnalysisとSemanticsの2つに絞り、Qualifying Examination for Ph. D.の準備に精を出しました。

筆者の手元にあるGU成績証明書(transcript)には、“Qualifying Examination for Ph.D.: October 9, 1974”と、試験に合格した日付が記録されています。採点に1週間かかると聞いていたので、その1週間前に受験したものと思われます。この試験の別名は、“Comprehensive Examination for Master’s Degree”と言われる通り、修士課程のComprehensive Examinationを兼ねていました。High-Pass, Pass, No-passの3段階で評価され、High Passを取らなければ、正式に博士課程を続ける許可が下りません。結果は掲示板に張り出され、受験番号とともに “High-Pass, Qualified to Continue the PH.D. program”、“Pass, Master -Terminal”、“No Pass”のいずれかが表示されます。1度目にHigh-Passが取れない場合、もう1度だけ受験のチャンスが与えられます。ただし、毎回50名位が受験して5名程度しか合格せず、2度失敗するケースは結構ありました。筆者はこの一年間、この試験用に指定された20冊の本を読み終え、全てのrequired coursesをAで修了し、かなりの準備をしたつもりでしたが、それでも心配で眠れぬ夜を過ごしました。ですから、発表当日、自分の受験番号の横に“High-Pass-Qualified to Continue the Ph.D. Program”と書かれているのを確かめ本当に安堵しました。これで第一関門を突破できたのです。しかしそれも束の間、翌年のFall Semesterには第二の関門、数倍難しいと言われるComprehensive Examination for the Ph.D.が待ち受けています。これも突破しなければ博士論文を書けません。

授業に戻ります。Introduction to Tagmemic Analysisと前学期受講したSemanticsと一対を成すもう一方のSemanticsの2つです。Semantics担当は前期と同じZarechnack先生で、John L. PollackのIntroduction to Symbolic Logicなどをテキストに進めました。Introduction to Tagmemic Analysisは、筆者が博士論文主査をお願いすることになるWalter A. Cook先生です。自著のIntroduction to Tagmemic Analysisをテキストに、K.L. Pikeにより提唱されたタグミミックス(Tagmemic)という文法理論を詳細に学びました。あまり聞きなれない文法理論ですが、Chomskyら変形文法も、この文法理論の影響を受けています。また、変形文法以外にも、格文法(case grammar)や、筆者が後に博士論文で取り上げる生成意味論(generative semantics)にもTagmemicの影響が窺えます。本コラム4 Grammatical Constructsシリーズで紹介した4つの構造もこの理論を使えば分かり易くビジュアル化できます。(*18)まさに、アメリカのpragmatismから生まれた文法理論で、多くの分野での応用が可能で、その一つがcomputational linguisticsです。Cook先生は、格文法、変形文法、生成意味論との繋がりでこの文法モデルを解説してくれました。Cook先生についてはその(8)で詳しく紹介します。

 

 (Tagmemic AAnalysisi のText) (Tagmemic Analysis での筆者のnote, examination, quiz)

 

かくして、1974年12月下旬にFall Semesterも終わり、GUでの1年半が過ぎました。Washington D.C.にもすっかり慣れ、成績も当初に目論んだ通りGPA 4.0(履修全科目A)、経済的基盤も固まり、そして、アメリカ人、日本人、他の国々の留学生達多くの知り合いが出来、GU Japan Clubのまとめ役も仰せつかるなど、非常に充実した年になりました。この年BGMでよく流れていたLove’s Theme(*19)を聞くと、この年の心境が蘇ってきます。12月20日過ぎの冬季休暇は、Mrs. Higginsの下宿でそのまま過ごし、1975年のNew Year Dayを迎えました。

(2020年10月23日記)

 

(*1)アメリカ留学では学期ごとに気分転換が必要です。広大な北米大陸をあちこち見て回ることを勧めます。筆者はこれまで全州の8割以上を訪れています。中西部と東部のカナダよりの幾つかの州を残すのみです。
(*2)California州はかつてメキシコ領でその前はマヤ族の血を引く先住民の土地であった筈です。アメリカ中西部に行く機会がありましたら、各地の先住民居留地を訪ねると色々なことが学べます。筆者はナバホ族、ヤキマ族、ポウハタン族の居留地に行きました。筆者は、1968年アリゾナ州を通り掛かった時に、ナバホ族の古老にナバホ語で話しかけられました。筆者が日本人と分かると親しみを込めた表情を浮かべ、日本人とナバホは太古の昔は同じであるとたどたどしい英語で語っていました。留学中のよい思い出となった一コマです。第16回「思い出のSan Franciscoと街並みの変化」の後部にその時の体験を書きました。
(*3)単的に言えば、GUのmaster’s program in linguisticsでの全部で10授業のことです。UHの master’s program in TESL で履修した授業の中にタイトルが重なる授業がありましたが、一つも認定されず、結局10の授業を全て履修することになりました。全くのやり直しです。言語学専攻系の授業と言語教育専攻系の授業では、前回(その6)でも述べたとおり、質・量とも全く異次元であることが、履修して分かったので納得しました。
(*4)“Linguistics” Yale University より。
(*5)別称は変形生成文法(transformational generative grammar)です。
(*6)“Roman Jakobson”Britannicaより。人類学者Claud Levi-Straussと交友があり、お互いに影響し合いました。
(*7)1974年Leech著Semanticsもあります。英語意味論の必読書の一つです。
(*8)本書の中の“Semantics”の章が、1977年のJ. Lyons 著Semantics 1 and Semantics 2で詳しく語られます。意味論研究の必読書の一つです。
(*9)日本語話者が英語の/l/と/r/を混同するのと同じです。英語話者は日本語のラ行の発音に苦労します。日本語のra、ri、ru、re、roは、インフォーマルな英語の会話では、water(/wȯ-tər/)の/t/ を/wȯ-lər/と発音することがありますが、その時の/l/に近い、と教えたことがあります。それぞれの言語にはそれぞれの音韻体系があり、外国語学習に影響を与えますが、矯正する度合いは個人的、社会的、政治的要因が絡みます。筆者がGUで会ったフランス語話者はフランス語の訛りが残る英語で、ドイツ語話者はドイツ語の訛りを抑えた英語で話す傾向がありました。第二次世界大戦の後遺症を感じました。Bilingualismにおけるcode-switching関連で取り扱うテーマの一つです。
(*10)日本の社会全般に共通する会話strategyとして、ある日本人学生が提出したscenarioを取り上げたことがあり、筆者は個人独創的なものと反論したことがあります。イタリア系アメリカ人の先生にはとてもユニークと思えたのでしょうが、日本語話者の筆者にとってもかなりユニークで、その人の個性から生まれたものであり、日本語話者全体に一般化されるstrategyではないと思ったからです。とにかく自由な議論を促す良い授業でした。
(*11)“List of Passenger Cars” Wikipediaより。
(*12) “Chevrolet Impala 1970’s”より。
(*13) “Chevrolet Impala 1970’s”より。
(*14)“Williamsburg Virginia”より。
(*15) “Shenandoah Valley”より。
(*16)“Chesapeake Bay”より。
(*17)“Virginia Beach”より。
(*18)本コラムのバックナンバーFor Lifelong English、を開け、第137回、140回、146回をクリックしてご覧ください。
(*19)Love Unlimited Orchestra ~ Love’s Theme 1973 Disco Purrfection Versionより。1973年Barry Whiteのヒット曲です。Discoブームの先駆者の一人Barry Whiteは1974年にYou Are My First My Last My Everythingをヒットさせています。2008年にイタリアのオペラ歌手Pavarottiとの共演版を聞いてみてください。Pavarotti & Barry White – My First My Last My Everything

 

鈴木佑治先生
慶應義塾大学名誉教授
Yuji Suzuki, Ph.D.
Professor Emeritus, Keio University

 


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