第148回 アメリカ留学 2021✓項目(1)University Mottoes―Lux(Light)、Veritas(Truth)の再起動(Restart)なるか?


筆者は1962年に慶應義塾大学文学部に入学しました。高校2年生の時、大学案内書で目にした“Calamus gladio fortior”(The pen is mightier than the sword)というmottoに惹かれたからです。創始者の福澤諭吉先生が、戊辰戦争中に目と鼻の先で繰り広げられていた戦いに目もくれず、将来の日本を見据えて塾生とともにウェーランド経済書を読んでいたというエピソードに感動しました。“The sword”(武力・暴力)ではなく“the pen”(学問・言論)を磨くことを説いています。(*1)改めてmottoの定義を確認してみましょう。Lexio Oxfordには、A short sentence or phrase chosen as encapsulating (=enclosing)the beliefs or ideals of an individual, family, or institution.とあります。大学のmottoesはそれぞれの教育理念を反映し、それに沿う教育の提供することを約束する宣言と捉える事ができます。(*2)最高学府としてそれに応えなければなりません。然もなければ、権威と信頼を失い、若い純真な心を裏切ることになるからです。COVID-19 Pandemicに苛まれる中、世界中の大学の正念場が続きます。アメリカ留学を目指す読者には、アメリカの大学の動向が気になるところです。志望大学を選考する際の予備知識として、どのようなmottoを掲げ、教育・研究にどう活かされてきたかを押さえておくとよいでしょう。魅力ある大学は魅力あるmottoを掲げ、それに見合う教育・研究活動の遂行に邁進しているからです。志望大学のofficial siteにはその詳細がある筈です。それを踏まえて志望理由のエッセイを書くと説得力も増します。本コラム第122回の最後に述べたように、アメリカの大学の典型的なmottoesには、以下の伝統校のそれに代表されるように、Latin語の“lux(光light)”と“veritas(真理truth)”の2語が目立ちます。Harvard University: Veritas(Truth)
Yale University: Lux et Veritas(Light and truth)
Princeton University: Dei sub numine viget(Let there be light)
Columbia University : In lumine tuo videbimus lumen(In Thy light shall we see light)

Harvard University(1636年創立)、Yale University(1701年創立)、Princeton University(1746年創立)、Columbia University(1754年創立)などの東部Ivy Leagueに属する伝統校は、いずれもキリスト教神学の伝統を受け継いでいることから、(*3)mottoesに掲げる“lux”や“veritas”は聖書The Bible(旧約Old Testament & 新約New Testament)から取られたものと思われます。それぞれの英訳の“light”と“truth”を、King James Version The Holy Bibleに照らし合わせると、以下2例のように、聖書の複数箇所で見つかります。

He that walketh uprightly, worketh righteousness, and speaketh the truth in his heart(詩篇Psalm 15:2)
And God said, Let there be light: and there was light.(創世記Genesis 1:3)

実際に、Columbia Universityのmotto “ In lumine tuo videbimus lumen”(Thy light shall we see light)は、詩篇Psalm 36:9そのままです。同じく、University of Californiaの “Fiat lux”(Let there be light)も、創世記Genesis1:3をそのまま取っています。聖書の影響は明らかですが、アメリカの伝統校の多くは17世紀、18世紀、19世紀前半に創設され、この時期ヨーロッパで起こった啓蒙思想enlightenment(*4)が、1789年のフランス革命と1776年のアメリカ独立戦争をもたらしたと言われ、同時期に創設されたこれらアメリカの大学もその影響を受けたと推察されます。よって、これらの大学のmottoesにある“lux(light)”と“veritas(truth)”に“enlightenment”の思想が加味されたのではないでしょうか。

University Mottoesと称するサイトには、勿論、“lux”と“veritas”以外の言葉も見られます。しかし、圧倒的に多いのは“lux”と“veritas”で、それ以外の言葉も、後述する通り、これら2語の関連表現であるように思われます。ともあれ、いかなる大学も、それぞれが掲げるmottoを大切にしながら、移りゆく時代の変化に対応しつつ教育・研究機関としての社会的責務を果たしてきたことは確かです。アメリカの大学が世界に君臨し、国内外から多くの学生や研究者を集めて来たのは、多くがmottoesに沿う教育・研究の場を提供してきたことに成功の秘訣があったと言えます。

しかしながら、日本でアメリカの大学が人気を集めるようになったのはここ半世紀程度のことではないでしょうか。今から約50年前の1960年代後半のことですが、アメリカ留学を公言した筆者に返って来たのは、「え、イギリスじゃないの?アメリカ?どうして?」という驚きの声でした。(*5)当時、留学と言えばヨーロッパ留学が主流であったからです。筆者の専攻が英文学であったので殊更にそうした反応が返ってきたのかもしれません。「アメリカ留学から帰ってきても(教職の)仕事は無いよ」との気遣う声さえありました。そういう筆者自身、TOEFL®テストの存在を初めて知ったのは1967年のこと、最初はアメリカなど目もくれずにイギリス留学を考えていたのです。しかし、アメリカ文化センターに足を運び、アメリカの大学の案内書(school catalogues)を読むうちに、それぞれのmottoやカリキュラムに惹かれ、迷わずアメリカ留学に踏み切りました。現実に立ち向う姿勢を強く感じました。

話を戻すと、17世紀から18世紀の時点で、創設されたばかりのアメリカの大学も、古代・中世に創設されて既に数百年の歴史を持っていたヨーロッパの大学も、啓蒙思想の影響を受けたという点では同じstarting pointに立ったことになります。両者とも“enlightenment”的ニュアンスが色濃い“lux”と“veritas”を mottoesに掲げて歩み始めることになるのです。しかし、そこからは、それぞれの社会の理念とともにそれぞれ独自の解釈が施され現在に至ります。第98回「アメリカ社会の諸分野に影響を与えたpragmatism(プラグマチズム)について」で述べた通り、アメリカ社会は、建国より培ってきた実用性を重んずる伝統を背景に、約100年後の1870年代に pragmatismの哲学ムーブメントの流れが生まれ定着します。(*6)その基本概念をおさらいすると、

 

✓考えや命題は、十分に機能し、実用的であれば、真実である。 真実とは機能する物事である(The truth is what “works”)。真の仮説は実用的である(true hypotheses are useful)。 理論(theory)と実践(practice)を分け、知識(knowledge)と行動(action)を分ける二元論に対し、実践と行動こそが理論と知識の礎である。(*7)

 

ということです。上記も含めて本文中✓のある文は第98回の論点をアレンジ要約したものです。詳細は第98回を参照してください。

その実用性を重んずる伝統のルーツは、1776年独立戦争以前の入植時に遡ると考えてよいでしょう。筆者は、1990年、翌年スタートする慶應義塾大学SFC-College of William and Mary夏季研修を企画した折に、William and MaryのJamestown入植地(Settlement)の見学を研修プログラムに盛り込んでもらいました。イギリス人入植者、入植者を迎えたNative Americans、そして、強制的に奴隷として連れてこられたAfrican Americans、置かれた立場は異なるものの、それぞれが生存をかけて厳しい生活を強いられていた様子がよく分かります。(*8)日々の生活に役立つ(useful)物事への関心の高さがひしひしと伝わって来ました。第98回で述べたようなpragmatismを生み、そして、根付かせた土壌は、独立戦争から約150年前の入植時に遡り培われてきたものと推察します。

このようなpragmatismの伝統は、現代のアメリカ社会のすべての面で強く感じられます。筆者自身もアメリカ留学中の10年間、色々な大学院にapplication formsを出しましたが、志望書(statement)には、志望programがいかに社会の為にも自分の将来の為にも役立つか具体的に述べるよう求められました。したがって、入学後の授業評価では、いかに役立ったかに重点を置き評価しました。筆者が担当した日本語の授業の受講者は、日本人との意思疎通に役立つ日本語能力を付けたいとの意識が強く、授業評価では「夏休みに日本に行き、日本語で話ができて役に立った」とのコメントを貰い、安堵したものです。役に立たない授業には受講者が集まらず、閉講されることがあったからです。役に立つ(useful)がキーであったと記憶しています。(*9)

アメリカの大学が掲げる“veritas”には、「命題は、十分に機能し、実用的であれば、真実である」、「真実とは機能する物事である(The truth is what “works”)」、「真の仮説は実用的である(true hypotheses are useful)」などのpragmatismの命題が、色濃く反映されているように思えます。Harvard、Yale、Princeton、Columbiaと同様に独立戦争以前に創設されたUniversity of Pennsylvania (1746)のmotto “Leges sine Moribus vanae”(Laws without morals are useless)は、裏を返せば“Laws with morals are useful”になり、逆説的に“useful”を強調しています。そして、アメリカ独立後の1800年以降に創設された大学のmottoesには、Charles Sanders Peirce(1839-1914)、William James(1842-1910)、John Dewey(1859-1952)らpragmatism始祖(the classical pragmatist triumvirate)の考え方に呼応するかのような文言が並びます。

MIT(1861):Mens et Manus(Mind and hand
University of Chicago :Crescat scientia; Vita excolatur(Let knowledge grow from more to more; and so be human life enriched
Howard university(1867):Veritas et Utilitas(Truth and service
Ohio State University(1862):Disciplina in civitatem(Education for citizenship
University of Texas(1883):Disciplina praesidium civitatis (Education, the guardian of society
University of Oklahoma(1890):Civi et reipublicae(For the citizens and for the state)
Miami University(1809):Prodesse quam conspici(To accomplish rather than to be conspicuous)
University of Maryland, College Park(1856):Fatti maschii, parole femine(Strong deeds, gentle words)

ラテン語で書かれた文言の英訳中に並ぶ“hand”、“human life enriched”、“service”、“society”、“citizens”、“for citizenship”、“to accomplish”、“strong deeds”などの語句は、pragmatismの提唱する“The truth is what works”、 “True hypotheses are “useful”と重なります。これらの大学は、MITとUniversity of Chicago以外は州立で、州に“useful”な機関であることを強調する“for citizens/society”といった州の公益を意味する語句も見られます。そして殆どが南北戦争(1861-1865)後に承認された南西部、中西部、北西部などの西部諸州の州立大学であることも興味を引きます。(*10)同時並行で起き始めたpragmatismの思想を受け入れ易い環境が整っていたものと推察できます。

M.I.T.の“Mind and Hand”は非常に21世紀的です。というのは、AI(人工知能)の巨匠でMIT AI研究所の創始者Mervin Minsky著The Society of Mind(1986)(*11)が示唆する通り、“mind”は脳科学(neurology)、認知科学(cognitive science)、AIなどの先端的分野を象徴し、そして“hand”はそれを実際に教育、工業、医療、サービスなどの諸分野での応用、物作りを象徴するmetonymy(換喩)であるからです。(*12)州立ではUniversity of Maryland, College Park(1856)の“Strong deeds and gentle words”は非常に現実的かつ具体的で分かりやすいmottoです。本コラム第117回で紹介した通り、それに違わず、older studentsを積極的に迎えるなど、今でも社会のニーズに即したmotto通りの実質的な試みを次々に行う大学です。これらの大学も含めてアメリカの大学にとっての“lux”と“veritas”には、pragmatismに洗われた痕跡が多分に残っています。

第98回でも述べた通り、日本語では、pragmatismは実用主義、現実主義、実利主義と訳されますが、「実利主義」という訳には要注意です。「実利」という言葉が功利主義的処世術と解釈されるかもしれないからです。以下の第98回からの要約を見ればわかるように、pragmatismは、一方ではDescartesの抽象的普遍性を求める合理主義に対し、他方では、Lockeの感覚的体験全てが知識となるという体験主義に対抗するもので、浅薄なものではありません。

 

✓普遍的(universal)、絶対的(absolute)、超越的(transcendental)理念ではなく、相対的(relative)な文化の実践(culture’s practices)を理解する術(the art of understanding)を追究する。

✓デカルトDescartesの合理主義(Cartesianism)、それに対峙したLocke、Hume、Berkeleyの経験主義を共々批判する。Descartesは、精神と身体を高次元、低次元のものとして分ける二元論を唱え、低次元の知覚や感覚などの身体的体験による信念(beliefs)を主観的なものとして却下し、高次元の精神に属する超越(transcendental)、客観的(objective)、普遍的(universal)真理と称するもののみを追求し、主観的な信念を虚偽なものとして棄却した。

✓それに対し次のように反論する。信念こそ実践・行動を導くルールである。信念は判断過程において生成される仮説(working hypotheses)であり、知識を築く上で重要な要素である。ある理論が真偽であるかどうかはその結実である実践・行動をもって判断され、信念は、実践・行動においても判断過程においても作用し、信念を排除するのは非現実であり、よって、デカルトの合理主義は的確ではない。

✓Lockeらの経験主義(empiricism)の知覚と感覚を通して物事を認識するという点では同意するが、Lockeらの人間のこころ(mind)は生まれながらに白紙状態(a blank slate/ the tabula rasa)であり、全ての知識は感覚を通して経験することにより得られる情報で構成される、すなわち、受容する知覚情報がそのまま知識になるとした主張に対し、能動的に取捨選択されたもののみが知識になると反論する。(*13)

 

ましてや、個人的な思いつきから来る利便性ではないことは一目瞭然です。

 

✓人間社会に介在する現実問題に立ち向かい、その解決に向け、理論・知識を実践・行動を通し、実用性を判断する。自説を真とし、他説を偽りとするなら、自説がどのような具体的で実用的な結果をもたらすかinquiry(探求)をして判断する。

✓文化は、静的な遺産ではなく、現在進行中の会話であり、哲学は、その刻々と変化する営み(実践)を解釈することを目的とする。会話としての動的文化を構成する科学、哲学、芸術、道徳、宗教等々に顕現する様々な声における相互関連を見出す方法を探求することが哲学の本来の姿である。(*14)

 

アメリカも建国以来現在まで、数々のいわゆるconspiracy theories(陰謀説)に苛まれてきた歴史があります。特定個人や団体が、正しいのは自分たちだけかのように声高に豪語します。即物的で分かりやすい反面、確固たる証拠(evidence)がありません。十分な証拠(evidence)を伴わない言説は、単なる思い付き(assumptions)に過ぎず、学問の世界ではbig Noです。Pragmatismは、現実社会の実用性を重んじるが故に、殊更そうならないよう細心の注意を払ってきたと思われます。上述のPeirce、James、Deweyら始祖3人に続くGeorge Herbert Mead(1863-1931)やC. S. Lewis(1898-1963)、W. V. O. Quine(1908-2000)、Hillary Putnam(1926-2016)(*15) 、Donald Davidson(1917-2003)、Richard Rorty(1931-2007)らの論述からその事が伺えるのです。以下第98回より抜粋します。

 

✓ある理論の正当性を判断するには、事前に収集したデータと照らし合わせることではなく、事後の実践結果を精査しなければならない。

✓理論は現実を処する道具である。理論の有効性は、問題解決力(the power of problem-solving)で判断される。情緒的で主観的な慰みをもたらすのみの一過性のものではなく、時を越え、何度も厳しい問題に立ち向かい、重大な困難に対処しうる信頼性が高いものかを問う。

✓能動的取捨選択は、「知識は誤りうる」という可謬主義(Fallibilism)の立場から、経験を通して得る知識はそのままでは現実にworkする知識にはなりえない。よって、Deweyの著書Logic: The Theory of Inquiry(1938)のタイトルが示唆する、inquiry(探求)が重要である。

✓知るということ(knowing)は、Lockeらの知覚情報の受容という受動的プロセスの結実(the spectator theory of knowledge)ではなく、inquiryという能動的なプロセスの結実である。言い換えれば、疑念から信念に導く問題解決プロセス(a problem solving process)の結実以外の何物でもない。inquiryを効果的に進めるには、実験、すなわち、現実を操作し変化させるプロセスを伴う。

✓知覚された情報は、能動的inquiryを通し、取捨選択されて加工され、知識となる。知ることは能動的行為であり(=the experimental theory of knowledge)、ヒトは行為者(agents)であって受容者ではない。(*16)

 

このように、アメリカの大学がpragmatismの伝統を受け継いでいることは明らかですが、その伝統はPeirce, James, Deweyに端を発するというよりは、彼らは実用性を重視せざるを得ない土壌に芽生えた伝統文化の申し子で、科学方法論としてその伝統文化を体系化する役割を担ったと考えて良いでしょう。19世紀後半以降の彼らの活躍に助長されたのは確かですが、こうした考え方の雛形は、それ以前に存在していたと思われます。事実、Peirceらが活躍する50年も前の1785に創設されたUniversity of Georgiaのmotto “Et docere et rerum exquirere causas”(To teach, to serve, and to inquire into the nature of things)には、pragmatismの生命線である“inquiry”を謳う文言がすでに明記されているからです。(*17)

そして、そのinquiryに必要なのが、次回で取り上げるinductive(帰納的)、deductive(演繹的)などによるreasoningで、現在よく言われるcritical thinkingに繋がるのです。冒頭で述べたように、pragmatismを浅薄な実利主義と誤解すると、“veritas”とは程遠い、欺瞞(fraud)で独りよがりのconspiracy theoriesを増産することになります。そうならぬよう、pragmatismでは、とりわけ重要な位置をinquiryに託しています。Pragmatismのスタンスは相対的、かつ実用的で、絶対的に正しいものはないと主張する分、個々の判断への依存度が高くなります。そこで、加謬主義を取り入れ、綿密なデータ、evidenceを根拠に、誤りがあれば、正していくという姿勢がどの学説よりも求められるのです。新天地フロンティアでは自分勝手に実利を追求する行動が横行しやすく、国を統一するためにinquiryの精神は必要不可欠であることは十分頷けます。

大学は世の光となるべく、inquiryを通して“veritas”を追求する責務があります。アメリカに留学した1968年から1978年の10年間、筆者はアメリカの複数の大学で学び、アメリカの大学はその責務を果たすべく輝いていました。ですから、帰国して教鞭を執り、多くの学生にアメリカ留学を勧めてきたのです。しかし、ここ4年間、アメリカの大学はそうした“lux”を掻き消すような風潮に見舞われ、留学生には近づき難い存在になったような気がします。もし筆者が留学を考える読者なら、“lux”と“veritas”の火を失わぬよう、具体的な目標に向けて邁進する大学を探し、留学先の候補とするでしょう。この数年間の日本では大学生らが留学そのものへの関心を失い、アメリカ留学を考える学生数は大幅に減少しています。

日本でも慶應義塾創設者福澤諭吉先生は「実学」を重視しました。まさにpragmatismです。(*18)アメリカ使節団で渡米し、そこでの政治、経済、社会に浸透していた実用的な制度に関心を持ちました。明治維新になり、そうした制度が取り入れられましたが、実は、日本文化の歴史をみると、日本人は元々実用性を重んじ応用力に長けており、使節団が渡米した時には驚きとともに共感することも多かったものと感じます。戦後は1960年代に私費留学が解禁され、多くの日本人留学生がアメリカの大学の研究・教育に加わり成果を上げてきたのも、元々兼ね備えていたpragmatismの精神を開花させる場所が与えられたからでしょう。アメリカの大学の魅力は誰にでもそうした場を提供する制度、施設、カリキュラムがあったからで、それが世界中の若者を引きつけたものと考えます。

最後に、筆者の母校Georgetown Universityのmotto “Utraque Unum”(Both into One)について一言。カソリック、イエズス会系の大学で創立は1789年です。第145回で述べた通り、イエズス会は世界中のあちこちに分け入りカソリックの布教に努め、それぞれの地で非常に実質的な活動をしていることから、元々pragmatism的な伝統を持っており、こうした活動目標のようなモットーを掲げたものと思われます。Georgetown Universityの歴史を見ると、地理的に南部と北部の境界線に位置し、 独立戦争、特に、南北戦争時は、どうやら、学生は南軍(Confederate)と北軍(the Union)のどちらかに分かれて戦ったようです。戦後は“Both into One”という具体的な目標を掲げ、それを推奨するようなカリキュラムを編成したのではないでしょうか。本稿執筆中2020年12月1日現在、アメリカは2020年の大統領選で、Biden氏寄りのBlue StatesとTrump氏寄りのRed Statesに二分され、本稿が出る2021年1月20日に発足するBiden政権は、全ての分野で2分したアメリカを一つにする具体的な施策が求められます。アメリカの大学を含む全教育機関が“Both into One”を目指し“veritas(truth)”の“lux(light)”を輝かせ、世界中から学徒を集めるcollaborationの場となるよう祈ります。アメリカの大学の魅力と強みはそこにあるからです。

(2020年12月1日記)

 

(*1)1839年に英国劇作家Edward Bulwer-Lyttonが述べたと言われています。普通名詞にtheを付け、その名詞が象徴する事象を指すmetonymy(換喩)の一例です。紋章、紀章、ロゴはmetonymyの宝庫です。慶應義塾(1858年)の開塾直後の明治維新で施かれた廃刀令(1871年)で、それまで武士の魂と言われて日常生活に溢れていた刀が消えましたが、この格言の影響でしょうか。Gun Control in the U.S.で記されているように、現在でも民間銃規制が緩い社会とは対照的です。
(*2)J. L. Austin流に言えば、誓約(promise)は“a speech act”です。約束という行為(act)は〜を約束する と発言する事で成立します。例えば、結婚という行為は結婚の誓約で成立します。公的機関や人物の公的な提言等の多くはspeech actsです。Mottoesも含まれます。英語学習にも重要な概念です。これについてはいずれ述べます。
(*3)Harvard Divinity School、Yale Divinity School、 Princeton Theological Seminarなどのプロテスタント神学校は有名です。
(*4) history.comより。
(*5)筆者がGeorgetownの博士課程在学中の1975年のことですが、同年のSorbonne夏季講習に参加して帰って来た大学院生が、筆者もSorbonneで勉強した方が良いと言った事があります。遡る事70年前の明治40年前後の4年間、アメリカに留学した永井荷風はその体験を『アメリカ物語』で述べていますが、永井にとってのアメリカは、どうやらフランスに渡るまでの資金稼ぎの遊学?であったような印象を与えています。それを思い起こさせる発言でした。筆者の専攻は言語学の英語分析、すなわち、英語学で、Sorbonneにアメリカを凌ぐ英語学のプログラムがあるとは考えにくく、返答に困りました。Sorbonneは、Paris大学への名称を変え、第1から第13に分割されました。
(*6)周知の通り、同時期にはRalph Waldo Emmerson (1803-1882) やHenry David Thoreau(1812-1867)らによる、ヨーロッパのロマン主義(Romanticism)の影響を受けた超越主義transcendentalismの運動が起き、当時のアメリカの知識人社会に大影響を与えました。高次元の精神に属する超越(transcendental)したものを重視する考え方を批判したpragmatismとどのように折り合ったのか、ここがアメリカ社会の興味深いところです。政治も、相反する考えの政党が存在し、交互に政権を取りバランスを保とうとするという現実主義も垣間見得ます。根底にpragmatismがあるのではと思えてなりません。ちなみに、(*13)で述べる、政治学者としてのNoam Chomskyは現代のThoreauのような印象を受けました。
(*7)第98回記載Internet Encyclopedia of Philosophyの“Pragmatism”を参照
(*8)一方、The Story of Jamestown through the Eye of a Native AmericaPocahontas and Powhatansに描かれているようなNative Americansから見た現実もありました。また、 First enslaved African arrive in James Town, setting the stage for slavery in North Americaのような現実も忘れてはいけません。本夏季研修では、Native Americansの末裔とAfrican Americansと意見交換をしました。
(*9)特に外国語の授業はそうでした。1年学習して母語話者と会話もできないということは看過されないという雰囲気が漂っていました。また、抽象的な理論(theory)を応用(apply)するapplied scienceなどの分野も見られました。筆者が在籍したGeorgetown Universityのlinguistics programは、applied linguisticsの先駆者と言って良いでしょう。現在applied linguisticsは外国語教授法という意味合いで使われていますが、当時Georgetownのapplied linguisticsではそれは一部で、社会学への応用という意味でのsociolinguisticsの研究が盛んでした。現在の Twitter, Facebookなどはアメリカから出るべくして出て来たアプリ(application)であると感じます。基礎理論があってその応用というのが一般的な考え方ですが、MIT Media Labなどの研究を見ると、最初から応用理論の構築を目論んでいるのではないかと思うのです。ここにもpragmatismの影響を感じます。
(*10)Wikipedia U.S. States by date of Admissionを参照。
(*11)アメリカ留学を目指す読者は、文系、理系に関わらず、是非とも読んでおきたい本です。比較的平易な英文で、是非とも原書で読みましょう。AI,やコンピューター・サイエンスの専門用語はそのままカタカナ表記で日本語に借入されており、英語のスペルと発音を覚えればそのまま使えます。それだけで3,000語以上の語彙が増えます。拙著『カタカナ英語でカジュアルバイリンガル』を参照してください。
(*12)長年M.I.Tに籍を置いた変型生成文法(transformational-generative grammar)の提唱者Noam Chomskyは、デカルト主義者 (Cartesian)で、pragmatismと相反する立場をとります。しかし、最初の著書Syntactic Structure (1957) は、コンピュータの言語解析を目論んだもので、AI(言語解析)、認知科学、脳科学、特に、言語障害(aphasia)に応用されるなど、実用性(usefulness)が非常に高い優れた研究です。筆者は、1970年代半ばに催されたGeorgetownでのpolitical symposiumでのpolitical scientistとしてのChomskyの歯に衣着せぬ具体的で現実的な発言を聞いた事があります。アメリカではデカルト主義者といえどもどこかで実用性を意識しているのではないかと思わせる一コマでした。
(*13)上記全✓マーク項目=第98回記載Internet Encyclopedia of Philosophyの“Pragmatism”を参照。
(*14)第98回記載Internet Encyclopedia of Philosophyの“Pragmatism”を参照。
(*15)筆者は、Hawaii大学のMA in TESLで、Chomskyが唱える先天的言語能力(innateness hypothesis)に関し、デカルト的客観論に立脚しながら客観的証拠(evidence)がないと痛烈に批判するH. Putnamの‘The Innateness Hypothesis’ and Explanatory Models in Linguistics”と称する論文を読んだことがあります。Putnamは、ヒトが先天的に有するのはheuristic learning strategiesで、言語能力はその産物と主張しますが、議論はともあれ、Putnamに劣らずChomskyも具体的なempirical(実験的・体験的)証拠にこだわったことは確かで、それもpragmatismの影響では?と思うのです。
(*16)第98回Internet Encyclopedia of Philosophyの“Pragmatism”を参照。
(*17)この大学の創設時1785年またはその直後にこのmottoを掲げたと想定しての話です
(*18)慶應義塾のペンマークの校章、三田キャンパスの演説館は、“The pen is mightier than the sword”の象徴と学びました。このmottoに沿い筆者なりに起案し、実施したのが、research、presentation、discussion、debateを盛り込んだProject-based English Program (PEP)でした。「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の福澤精神に則り、慶應義塾では教員も学生も「君」付け、よって、PEPでは教員も学生も同等に学び合うというスタンスを取りました。学生の関心事についてのプロジェクトからは学び事が多く筆者の言語学の研究に示唆を与えてくれました。筆者自身は長い人生体験かを持つ先達としてコメント、助言するという励まし役のfacilitatorに徹しました。PEPそのものが筆者自身のprojectで、未完のままlifelongに続きます。筆者現役中の1978年-2014までの暗中模索の歩みについてはいずれ詳細に特集します。

 

鈴木佑治先生
慶應義塾大学名誉教授
Yuji Suzuki, Ph.D.
Professor Emeritus, Keio University

 


上記は掲載時の情報です。予めご了承ください。最新情報は関連のWebページよりご確認ください。


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