第161回 Michael Jacksonの名曲“I’ll Be There”-言語とアイデンティティ(その1)

Michael Jacksonの名曲“I’ll Be There”-言語とアイデンティティ(その1)

1970年8月28日Motown Recordsからシングル盤でリリースされた“I’ll Be There” は、1969年にデビューしたThe Jackson 5の4番目のヒット曲です。グループはデビュー早々 “I Want You Back”、“ABC”、“The Love That You Save”を立て続けにヒットさせ、この曲をもってデビューから4連続全米ヒットチャート#1という輝かしい記録を打ち立てるのです。リリースされるや400万枚を売り上げ、Motown Recordsに最大の利益をもたらし、The Jackson 5の歴代ナンバー1ソングともなりました。Motown Records は“Motown Era” (1959-1972)と称される時代に数々のヒットソングを世に出しましたが、その時期を代表する曲とも言われ、2011年にはGranny Hall of Fameに殿堂入りしています。

この曲は、筆者にとって、第139回で述べたアメリカ留学中カリフォルニアで過ごした青春の日々を呼び起こしてくれます。曲がリリースされた1970年8月末当時、26歳になった筆者はSan Francisco Bay AreaのHayward市に住んでいました。朝はひんやりと朝霧が立ち込め、昼ごろ俄かに空は晴れ渡り、肌を劈く陽の光が辺り一面を照らし、気温はたちどころに40度近くに上昇します。ダウンタウンの道路のアスファルトから蜃気楼が立ち昇り、行き交う人々や車、商店、電柱、街路樹全てが空気中に浮くように揺れます。ローンを組んで手に入れた1962年製Pontiac Le Mansのハンドルを握り、ラジオのスイッチを入れるとこの曲が流れてきました。たちまち好きになりました。

The Jackson 5については説明するまでもありません。Motown Recordsに所属していた兄弟5人のグループはその後解散し、メインボーカルのMichael Jacksonは独立し世界的スーパースターになって2009年に逝去します。生前のライブ・コンサートではsignature songsの一つとしてこの曲を歌っています。

1970(The Jackson Five) 

 

1983年 (Motown 25 Anniversary) 

 

1997 (Munich Tour) 

名声に伴い歌い方も洗練されていきますが、筆者にとって今でも耳に残って離れないのは、やはり、1970年8月末にリリースされたシングル盤に残る少年時代のあの歌声、あの歌い方です。1970年代当時のAfrican American口語英語(African American Vernacular English, 略称AAVE)の訛りがたまらないのです。和食に例えるなら「うまみ」です。イントロを聴くたびに、この曲に最初に接した時のすがすがしさが蘇えるのです。あの灼熱の道路に突如オアシスが出現したような。

言語学(linguistics)の領域に社会言語学(sociolinguistics)がありますが、その主要テーマの一つがAAVEです。筆者は、アメリカ10年滞在中にAAVEを聞き慣れましたが話せるようになるには至りませんでした。次回(その2)で触れますが、音素、音韻、語形成、統語、意味のルールの体系がとても複雑だからです。1970年8月にリリースされたこのシングル版が、50年余経て未だに新鮮なのは、一つの理由としてThe Jackson 5がAAVEの音韻体系で歌い上げているからであると思っています。少なくとも筆者にとってはそうなのです。[1]

作詞、作曲にはMotown Recordsの重鎮、Willie Hutch、Hal Davis、Bob West とBerry Gordy が関わっています。歌詞を味わって見てください。

 

I’ll be there

You and I must make a pact

We must bring salvation back
Where there is love I’ll be there

I’ll reach out my hand to you
I’ll have faith in all you do
Just call my name and I’ll be there

I’ll be there to comfort you
Fill my world with dreams around you
I’m so glad that I found you

I’ll be there with love that strong
I’ll be your strength
I’ll keep holding on (yes I will)

Let me fill your heart with joy and laughter
Togetherness, well is all I’m after
Whenever you need me, I’ll be there (I’ll be there)

I’ll be there to protect you (yeah baby)
With an unselfish love I’ll respect you
Just call my name and I’ll be there

I’ll be there to comfort you
Fill my world with dreams around you
I’m so glad that I found you

I’ll be there with love that strong
I’ll be your strength
I’ll keep holding on (yes I will)

If you should ever find someone new
I know he better be good to you
‘cause if he doesn’t I’ll be there

Don’t you know baby yeah yeah
I’ll be there, I’ll be there
Just call my name I’ll be there

Just look over your shoulders honey
Uh! I’ll be there, I’ll be there
Whenever you need me I’ll be there

Don’t you know baby yeah yeah
I’ll be there, I’ll be there
Just call my name I’ll be there

Uh uh uh uh uh! I’ll be there…

 

歌詞にこれといった難しい語、句、表現はありません。ところが、どのような愛の状況を歌ったものであるのか、決め手が有るようで無く、様々な解釈を生むラブソングです。別れつつある男女がいがみ合うことなく相互に思い合おうと言う約束を交わしていますが、promiseではなく条約や協定を意味するpact を使っているところがミソです。平和条約peace pactを連想させますね。

Song Meanings + Facts “I’ll be there” by the Jackson Fiveは次のように述べています。普遍的愛情を歌っていると主張する評論家もいるが、恋愛ソングである。恋人に対する表現が繰り返されているからだ。歌っているのは恋愛経験が無い11才の少年Michaelであるが、年齢を超えた賢さと経験を感じさせる、もって生まれた才能で歌い上げている。事実、この歌の言葉は恋愛経験を積んだロマンチストの言葉そのものである。タイトルが示唆するように、この歌は恋人への献身、ちっちゃなMichaelの言葉を借りれば、「“baby” が呼べばいつでもそこにいる、駆けつける」を軸に展開される。歌い手が大切な人に献身的な愛の深さを伝えるタイプの恋愛歌である。だから、自分が居なくても今の恋愛関係の状態を心配しなくても良いと忠告する意味が含蓄されている。

一方、Song Facts “I’ll be there” by the Jackson Five は次のように評しています。男性が元の恋人に、彼女の為にいつも一緒に居る、誰か新しい恋人を見つけても、いつでも自分の元に来て構わないと告げる。この無条件の献身的な愛の告白が、たった11才のMichaelの声の純真さで甘美に彩られ、この時代のどの曲よりも心に触れるロマンチック・ソングの一つに押し上げた。

2つの解釈には幾分ズレがありますが、総合してみると、この二人の男女の関係は崩れつつあるか、崩れてしまったのか、定かではありませんが、危機的状況であることは確かです。そんな状況の中で男性の方は、いつも彼女を見守り、必要とされるならどこにでも駆けつける。彼女に新しい恋人ができても、その人が彼女を大事にしてくれることを願う。万が一そうでない場合、彼女はいつでも自分のところに戻ってきてよいと告げる。彼女の幸せを願いつつ彼女を見守り続ける。いずれにせよ、滅私的というか献身的な愛が伝わってきます。そんな内容の歌を純真無垢(innocent)な11才の少年Michaelが、天賦の高音美声と想像力と表現力で見事に歌い上げているのです。

同時期にMotown Recordsよりリリースされた全米ヒットチャート#1になっていた女性ボーカル・グループ The Supremesの“Someday We’ll Be Together” が巷に流れていました。まるで、“I’ll Be There” でMichaelに語りかけられている相手の女性が、“Someday We’ll Be Together” と答えているかのように聞こえたものです。こちらの曲のリード・ボーカルは当時26才の女性歌手Diana Ross [2]で、別れた恋人の男性に語りかけていますが、当然、大人の雰囲気たっぷり、その意味では11才のMichaelが歌う “I’ll Be There” の無垢な透明感と対照的です。それでも、Michaelの高音美声とRossの高音美声が何となく一つになりラジオから交互に連歌を彷彿させる掛け合いのように流れてきたのを思い出します。

Motown Recordsは1959年にBerry Gordy, Jr.によりDetroit市に創設された最初のAfrican Americansによるレコード会社です。Motownはmotorとtownの合成語(portmanteau)で、自動車産業が栄えた当時DetroitがMotor Townと呼ばれたことに由来します。創設以来数々のAfrican-Americanの大物歌手を世に送り成功しました。そのビジネス戦略はAfrican American社会のみではなく、経済的に豊かな白人社会にも受け入れられてマーケットを広げることでした。その方針に従い、 初期Motor Eraの大物グループ、歌手The TemptationsThe Four Tops The SupremesSmoky RobinsonStevie WonderMervin Gayeなど皆フォーマル、セミ・フォーマルな装いをして礼儀正しく振る舞い、中産階級に受け入れられよう心がけました。そうした背景がヒット・ソングの歌詞に反映され、“I’ll Be There” の歌詞を見ると、語彙、表現、文法構造はアメリカ標準英語(American Standard English、略称ASE)で書かれています。それはThe Supremesの“Someday We Will Be Together”も同じです。

143も触れましたが、この曲がリリースされた1970年はThe Black Power Movementが隆盛し、African Americansは自らのrootsに目を向け、自らの文化を誇り、人種差別に強く抗議し、その撤廃に向けて各地に運動が起きていました。1960年代のMartin Luther King牧師(博士)らによる非暴力で穏健な運動は、King師の暗殺、ベトナム戦争におけるAfrican Americansの戦死者の多さ、一向に改善されない人種差別、貧困率の高さなどから過激運動に変わっていきました。 その一例Huey NewtonBobby Sealeらが結成した The Black Panther Party本拠地はCaliforniaOakland市のスラム街が広がるEast Oakland地区で、筆者が初めて“I’ll Be There”を耳にしたのはMission StreetHayward市からEast Oaklandに向か途中の車中のことでした 

African American社会の中に、体制の中に入り運動を起こそうという穏健派と、体制を破壊することにより運動を成就しようという過激派の亀裂が顕著になりつつあると感じさせられました。そうした風潮の中でMotown Recordsも揺れたことでしょう。上述したごとく、Berry Gordy Jr.はAfrican Americanの音楽を追求しある程度の成功は収めたものも、ビジネス規模は小さく、安定した基盤を気付くためにはマジョリティーのWhite American社会にマーケットを伸ばさなければならなかったのです。その一環として“A clean, polished image” を掲げ、中産階級のWhite Americansに受け入れ易い服装、言葉遣い、物腰を専属歌手たちに求め、専属の振付師や行儀作法の教師を付けて徹底させました。歌手たちもスターになることを夢見て抵抗しなかったのでしょう。それはAfrican Americanとしてのアイデンティティを犠牲にすることにもなりかねません。過激派からすれば、アメリカン・ドリームを得るために魂を売る行為にしか見えなかったかもしれません。Diana Rossなどはそうした非難を受けたと聞いています。さぞかし葛藤したことでしょう。[3]

Motown Recordsとは関係ありませんが、筆者自身を含め日本でファンが多い第143回で取り上げたLouis Armstrongも晩年はそうした風潮のまっただ中にありました。彼はKing牧師の穏健的なスタンスをとった為に当時のAfrican American若年層の間で不評で、1971年に逝去した時、そのような風潮に忖度してかメディアではあまり取り上げられませんでした。彼はTime誌やLife誌のカバーになった程ですが、それらはまさに体制を象徴する雑誌であったので、あれだけの偉業を重ねた伝説的ジャズマンはヨーロッパや日本など海外で惜しまれながらも、当時のAfrican American社会では話題にもならずひっそり世を去ったという記憶しかありません。[4]

そうした背景の中言語学の一分野である社会言語学 AAVEの研究に踏み出しました当時のAfrican American社会は、ルーツを探求するアフリカ文化に目を向け、主要大学にはblack studyプログラムが設置され、第136回で紹介したように筆者が1968−1969に在籍したUniversity of California, Santa Barbara (UCSB)にも設置され、現在ではDepartment of Black Studiesになっています。また、Black Student Unionが設立されたのもこの頃でしたBlack studiesのカリキュラムAfrican American Englishの研究は無かったように記憶しています。1960年代に取り上げたのは、William Labov社会言語学者でNew York州のAAVE speakersの膨大なデータを取り、文法構造、音韻の研究を行なっています(The Social Stratification of English in New York City Language in the Inner City: Studies in Black English Vernacular,“The Logic of Non-standard English”参照)上述したように、“I’ll Be There”は歌詞の語彙や構文を見る限り当時のAAVEの香りはありませんThe Supremes “Someday We Will Be Together”の歌詞も同じくそうですどちらも人種を超え、国境を越え、男女が別れても相手を罵なく、尊敬し合い、相手をいつまでも待つという普遍的透明性で貫かれていますDiana RossらのヒットソングはみなASE書かれ、ASE発音体系われていることから殊更うした印象与えのでしょう

一方のMichaelの方も声変わりする前のボーイ・ソプラノであった為、歌声だけを聴くとDiana Rossら成人した女性歌手を彷彿させるかのような印象を受けました。彼女と違うのはAAVE訛りで歌っていることです。但し、それはMichaelがデビューした少年時代に限ります。その後MichaelはMotown Recordsを離れAAVEの特徴を失います。次回(その2)では社会言語学における言語(英語)とアイデンティティの視点で分析してみました。

TOEFL iBTテストを受験する読者は、今回も紹介した英語の資料に目を通しましょう。

(2022年5月記)

 

[1] それは筆者自身、消えゆく故郷旧清水市(現静岡市清水区)の山河とともに浮かぶ消え行く静岡弁への郷愁と重なるからです。恐らく筆者の世代が最後でしょう。岩手県出身で石川啄木が故郷の方言を聞きに上野駅に赴き「故郷の訛りなつかし停車場の人混みの中にそを聞きにいく」と読んだ心境が分かります。岩手弁も静岡弁も地域方言(reginal dialects)で、AAVEは都市部の方言(urban dialects)である点で違いますが、方言はその話者に周辺感(sense of periphery)や自虐感(sense of self-deprecation)などを抱かせる反面、帰属意識、アイデンティティ、結束感(solidarity)をもたらす点で大いに一致します。福島県の民謡会津磐梯山(東京合唱メドレー2013)は耳にしますが、残念ながら、筆者が若い時聞いた会津弁訛りの歌い方(鈴木正夫1952)は耳にしなくなってしまいました。 筆者の専攻は言語学ですから、生物学者が一つの種が消え去るのを嘆くように、一つの方言が消え去るのを憂います。
[2] Disneyアニメ映画“Land Before Time”の主題歌 “We Hold on Together”を歌っています。
[3] The Black Forum label: Motown joins the revolution という記事(abstract)にMotownの葛藤が書かれています。
[4]  第26回第27回第28回で紹介したように、日本やヨーロッパのtraditional jazz bandsに多大な影響を及ぼし、1968年に逝去したクラリネット奏者のGeorge Lewisもひっそりと世を去りました。

鈴木佑治先生
慶應義塾大学名誉教授
Yuji Suzuki, Ph.D.
Professor Emeritus, Keio University

 


上記は掲載時の情報です。予めご了承ください。最新情報は関連のWebページよりご確認ください。


公式eラーニング教材 Official TOEFL iBT Prep Course Plus

TOEFL iBTテストオンライン模試 TOEFL iBT Complete Practice Test


TOEFL iBT®テスト/自宅受験TOEFL iBT®テスト「TOEFL iBT® Home Edition」
英語圏に限らず、世界の大学・大学院、その他機関で活用されています。また日本国内でも大学/大学院入試、単位認定、教員・公務員試験、国際機関の採用、自己研鑽、レベルチェック、生涯学習など活用の場は広がっています。

自宅受験TOEFL® Essentialsテスト 
2021年から自宅受験型の新しいテストとしてリリースされました。約90分の試験時間、短い即答式タスクが特徴のアダプティブ方式の導入されています。公式スコアとして留学や就活などにご利用いただけます。

TOEFL ITP®テスト
TOEFL ITP®テストプログラムは、学校・企業等でご実施いただける団体向けTOEFL®テストプログラムです。団体の都合に合わせて試験日、会場、オンライン受験の設定を行うことができます。

TOEFL®テスト公式オンラインショップ 
TOEFLテスト日本事務局が運営するオンラインショップです。日本で唯一TOEFL iBTテスト公式オンライン模試を販売しています。

ライティング指導を効率的に Criterion®
Criterion®(クライテリオン)を授業に導入することで、課題管理、採点、フィードバック、ピア学習を効率的に行うことを可能にします。

Michael Jacksonの名曲“I’ll Be There”-言語とアイデンティティ(その1)
最新情報をチェックしよう!