第162回 Michael Jacksonの名曲“I’ll Be There”-言語とアイデンティティ(その2)

 

第161回の続きです。Motown Records時代のMichael JacksonとDiana Rossは言語学的にどう違うのでしょうか。

Peter Trudgillは、その著Sociolinguistics: An Introduction to Language and Society(Penguin Books, 1974)の3章 “Language and Ethnic Group”で、1960年代後半から1970年代初期におけるAfrican American Vernacular English(AAVE)の代表的な特徴を列挙しています。以下、併せて筆者の恩師の一人Ralph Fasold著The Sociolinguistics of Language(Blackwell, 1990)も参照し、まとめます

 

1970年代のAfrican American Vernacular English(AAVE)の主要な特徴

1.音韻論(発音pronunciation)上の特徴]

(1)rの発音
・cartのように、rの次の音が子音の場合は発音されない。(例:cart→/ca:t/)
・carのように、rに続く音がない場合は発音されない。(例:car→/ca:/) [1]
・Carolのように、語の中間で母音に挟まれる場合は発音されない。
(例:Carol→Ca’ol; Paris→Pa’is) [2]
・fromのように、 語の最初の子音に次に続く場合は発音されない。
(例:from→f’om;protect→p’otect) [3]

(2)thの発音
thingやthisのように、 語の初めにくる場合、それぞれ、(/θ/ではなく)/t/、(/ð/ではなく)/d/と発音される。(例:thing→ting;thick→tik; this→dis;them→dem)[4]
・brotherのように、語の中間に来る場合、/v/と発音される。(例:brother→b’uvvuh /bəvə/ )

(3)American Standard English(A S E)では、lost, west, desk, end, coldのように、語尾が2つの子音で終わる語が、次に子音で始まる語と組み合わさる場合、最初の語の最後の子音は発音されない。(例:lost time→lostime west time→wescoast)しかし、lost elephantのように次ぎの語が母音で始まる場合は発音される。(例:lost elephant→los’ elephant west end→wesend)一方、AAVEの場合は発音されない。(例:lost elephant→los‘ elephant west end→wesend)

(4)ASEでは-st, -sp -sk で終わるtest, clasp, deskなどの名詞の複数形はtests, clasps, desksであるが、AAVEでは最後の子音は発音されず、 test→tes’; clasp→clas’; desk→des’になり、複数形はtesses /tesiz/, classes /klasiz/, desses /tesiz/になる。また、接頭辞-ing形は、testingではなく、tessingに、接尾辞-er形は、testerではなく、tesserである。南部の白人の一部もtest → tes’と言うが、tessing ではなくtesting、tesserではなく testerと言うので、AAVE固有の特徴と言える。

(5)run, rum, rungのように/n/ /m/ /ŋ/ のような鼻子音(nasal consonant)の前にくる母音はみな鼻音化し(nasalization)、かつ、最後の子音は発音されない。よってrun, rum, rung →は、みな、/r ə /になり/ə/は鼻音化される。

(6)/l/が発音されない非発声的(non-prevocalic)/l/ と称する現象がある。例えば、toldの/l/の発音が省略されてtoeと同じ発音になる。(例:told→/tɔ:/)

(7)語尾が /b//d//g/である場合は無声化(devoicing)される。例えば、 budはbut と同じ発音になる。但し、母音が短母音/bət/ではなくやや長母音の/bə:t/になる。(例:bud→ /bə:t/)更に、語尾の/d/は省略される場合があり、例えばtoadはtoeと同じ発音になる。(例:toad→/tɔ:/)

 

2.[文法(統語)上の特徴]
(1)3人称単数現在形-sを取らない。(例:He go. It come. She like.)

(2)Be -動詞の現在形が無い。(例:She real nice. They out there. He not American. If you good, you going to heaven. )

AAVE: He busy right now.
ASE: He is busy right now.

(3)不変be(invariant be)。最重要の特徴はbe動詞を定形(finite form)として使用する不変be (invariant be)である。通常、usuallyや sometimesやalwaysなどの副詞を伴い、 不変 be は、慣習相(habitual aspect)を持ち、出来事が繰り返される(repeated)が持続しない(not continuous)ことを表す。よって、AAVEでは* He be busy right now.や*He be my father. は非文(*)である。(例:He usually be around. Sometime she be fighting. Sometime when they do it, most of the problems always be wrong. She be nice and happy. They sometimes be uncomplete.)

AAVE: Sometimes he be busy.
ASE: He is busy sometimes.

AAVEの起源には諸説あり、その内の一つの説は、カリブ海クレオール(creoles)から派生したと主張している。カリブ海クレオールでは、動詞において、出来事が繰り返されたか(repetitive)、持続されているか(continuous)、完結したか(completive)等々を問う相(aspect)が、出来事の時空の位置(過去、現在、未来など)を指す時制(tense)より重要である。AAVEの不変be(invariant be)はまさにそうした相に該当し、諸説あるAAVE起源説におけるクレオール起源説を裏付ける証拠となる特徴である。[5]

(5)完結相(completive aspects)や遠い過去相(remote aspect)。AAVEにもA S Eのように現在完了(I have talked.)、過去完了形(I had talked.)がある。加えて、 行為が完結したことを示す完結相(completive aspect 例:I done talked = my talking is completed.)また、出来事が遠い過去に起きたことを示す遠い過去相(the remote aspect 例:I been talked. =my talking occurred in in the remote past.)がある。

(6)将来起こる結果(future resultative)を示すbe done。(例:I’ll be done killed that mxxxxx fxxxxx if he tries to lay a hand on my kid again. John Baughより)

(7)間接疑問文の語順は直接疑問文と同じ(question inversion)である。(例:I asked Mary where did she go. I want to know did he come last night.)

(8)存在のit(existential it)= ~がある、~がいる(it is = there is)。(例:It’s a boy in my class name Joey. It ain’t no heaven for you to go to. Doesn’t nobody know that it’s a God.)

(9)文中に否定形不定代名詞 nobodyや nothingがある場合は、文頭に否定形の助動詞doesn’tやcan’tを伴う。(例:Can’t nobody do nothing about it. Wasn’t nothing wrong with that. 平常文のイントネーション.)

Peter Trudgill著Sociolinguistics: An Introduction to Language and Society (1974, Penguin Books)より抜粋。Ralph Fasold著The Sociolinguistics of Language(1990, Blackwell)参照。 翻訳・編集 鈴木。

 

余白が限られているので、肝心部分のみ簡単に解説します。 “I’ll Be There”の歌詞は上述した通りASEで書かれたもので上表のAAVEの文法上の特徴は見られません。但し、1970年代当初のThe Jackson Five時代のMichaelとJermaineら他の兄弟は当時のAAVEの音韻体系の特徴を色濃く残しています。それに対してDiana Ross and the SupremesはASEの音韻体系で歌っています。上の表を見ながらもう一度聞いてみてください。1970年 The Jackson Five “I’ ll Be There”です。例えば、pactはpac’/pa(k)/に、protectはpo’tec/p ɔ: tɛ(k)/に、just call my nameはjus’ ca’ ma’ na’/jɨs kɔ: mah nɛ:(m)/に聞こえませんか?

特に注目したいのは、AAVEの最も象徴的な特徴とされる不変be(invariant be)の影響です。The Jackson Five時代における、歌詞のサビ(hook)にある“I’ll be there.”の発音にその痕跡がしっかり残っています。Michaelも他のメンバーもI’ll be there/ai l bi: ðɛ/ではなく、AAVEの不変be(invariant be)でI be de’/ah bi: dɛ/と歌っています。[6] Diana Rossらが“Someday We’ll Be Together” で“We’ll be together”をASEでWe‘ll be together/ ˈwi l bi: təˈɡɛðə/と歌っているのとは対照的です。前回述べたように、Dianaらは既に20代でMotownの発音trainingに付いていったのでしょうが、The Jackson Fiveは少年達であったために、あまりにも急激なデビューには間に合わなかったのでしょう。熱烈な1970年代AAVEファンの筆者らには嬉しい誤算です。

その後Michaelは独立してMotownを去り、全米はおろか世界的スーパースターになるにつれ英語もASEになります。多くの読者がご存じのデビューから10数年後の1980年代国際的スーパー・シンガーとして名声を打ち立てた“Beat It”や“Billie Jean”などの名曲などを出す頃にはAAVEの面影を失い、ASEで歌っています。その後グローバル・スーパー・スターとなり、2009年に逝去した時にはその感は更に強まります。その痕跡が節目節目で歌っている“I’ll Be There”に鮮明に残っています。それを念頭に、前回紹介したThe Jackson Five時代、Motown 25周年、1997年のミュンヘン・ライブで歌った“I’ll Be There”を聞いてみてください。特にAAVEの不変be(invariant be)に注視し、 ASE流のI’ll be there/ai l bi: ðɛ/に変わっていく様子を聞いてみてください

1970年(The Jackson Five)
https://www.youtube.com/watch?v=W-apaIOOoAo
https://www.youtube.com/watch?v=rP8c-ggXqcw

1983年(Motown 25 Anniversary)
https://www.youtube.com/watch?v=ScAxcogl8Gc

1997年(Munich Tour)
https://www.youtube.com/watch?v=tMK5N13Ytfo

1983年のパーフォーマンスでは、Motownに残ったJermaineのみinvariant beの影響を強く残し“I be”/ah bi/と歌っているのにお気づきでしょうか。(筆者はJermaineの大ファンです。)社会言語学でいうところの言語とアイデンティティ(language and identity)が分かり易く表出している良例です。言語には方言とスタイルがあります。私たちは状況によってそれを使い分けますが、どの方言のどのスタイルで話し、いつどこで誰と何を話すかで違います。英語も

色々な方言色々なスタイルがあり、フォーマルスタイルの標準語を介するだけでは終わりません。これだけ覚えれば英語はペラペラになるなどとの宣伝を目にしますが、社会言語学的には疑問です。第14回でも述べた通り、全ての言語には複数の方言があり、方言にはスタイルがあります。社会言語学では言語変種(linguistic varieties)と言います。それぞれが複雑な音韻、形態、統語、意味のルール体系を持っています。それぞれの言語の母語話者は状況により使い分けているのです。英語には夥しい変種の数があり、それぞれに複雑な構造があり貴重な伝統文化があります。

話を戻します。筆者が初めてこの曲を聞いたのはアメリカ留学2年目で、アメリカ社会の負の部分に目を向け始めた頃です。概して、留学1年目はホスト国に対し非常にポジティブですが、日常会話に不自由する事が無くなる2年目には、活動範囲が広がり、ネガティブな面にも目が向きます。第139回で紹介したように、筆者自身も日系3世との触れ合いが増え、日系社会が置かれてきた差別的境遇に目を向けるようになりました。1年目は聞き取れなかったことがよく聞き取れるようになりました。ある日、ある中年の白人男性が、筆者の知

り合いの白人男性に、筆者について、“He’s a nice-looking fellow for a Japanese.”と言っているのを耳にしました。お世辞のつもりでしょうが、この発言のforには日本人は概してnice-lookingではないという前提が想定されています。筆者などnice-lookingではありませんでしたし、nice-lookingの日系人は大勢いましたから、偏見とは恐ろしいものです。

そんな時でしたから、マイノリティ・グループの先頭に立って偏見と立ち向かうAfrican Americansはとても格好良く見えました。AAVEは旗頭の象徴のような存在でした。そんな筆者がこの歌を初めて聴いたのが 第139回で述べたEast Oaklandのアフリカン・アメリカン地区のEast 14th Streetに向かう途中でした。The Jackson Five 時代に歌った“I’ll Be There”はAAVE の香りと共に、そんな青春の一幕を蘇生させてくれるのです。

現在のAAVEはhip-hopなどにも見られるように、1960年代、70年代のAAVEとは違います。手始めに、以下のサイトをチェックしてみてください。

Linguists on African American Language: John Baugh

African-American English Structure History and Use

The United States Of Accents: African American Vernacular English

https://www.languagejones.com/blog-1/2014/6/8/what-is-aave

https://www.youtube.com/watch?v=K7FIky7wplI

https://www.youtube.com/watch?v=rNjhB1DW_-s

https://www.youtube.com/watch?v=VpLQmyS7-jw

https://oraal.uoregon.edu/facts

https://multimedia-english.com/phonetics/black-american-english

これを機に関心ある読者はSociolinguistics(Linguistic Society of America)もチェックしてみてください。言語多様性の素晴らしさが分かると思います(第130回参照)。言語学習、言語教育、そして、グローバル・ビジネスに役立ちます。TOEFL iBTテストを受験する読者は、今回も紹介した英語の資料に目を通しましょう。

(2022年5月記)

 

[1] これはnon-prevocalic/r/(cf. rhotic/r/)と称され、イギリスや A Transatlantic Cross-Dialectal Comparison of Non-Prevocalic /r/ ニュージーランドのNon‐Prevocalic /r/ in New Zealand Hip Hop 英語でも見られる。
[2] この現象はintervocalic/r/と称される。
[3] この特徴はイギリスのReceived Pronunciation(RP)にも見られる。(例:very nice→ve’y nice)
[4] 頻度はAAVE に比べて少ないがWhite American Englishでも見られる。
[5] AAVEの起源については諸説あるが、4つの見解に集約される。 1.The ‘different-equals-inferior‘ view(「違うことは劣ること」とする見解)。この見解に影響され、African AmericansとWhite Americansの話し方には違いが無く、AAVE の特徴とされるあるものは英国方言に遡り、あるものはアメリカの白人英語内でのイノベーションである。しかし、実際にはAAVEには独自の特徴があるので、言語学者はこの見解を受け入れない。1970年代のAfrican American活動家はエスニック・グループ的アイデンティティの確立を訴える一方、この見解に影響され、AAVE 固有の相違を強調する言語学者の見解に否定的な姿勢をとる傾向があった。 (言語学は言語変種間の優劣を否定し、言語変種間の相違を否定的ではなく母語話者の文化とアイデンティティを示す肯定的な特徴として捉えており、この見解を否定する。)
2.The dialectologist view(方言学的見解)。AAVEは白人英語とは違いがあるが、AAVEは歴史的に英国英語から派生し、さまざまな英国方言が混ざり現在に至る。AAVEは他の方言には無い英国英語の古い特徴を残している。
3. The integrationist view (統合的見解)。 歴史的記録によるとアメリカの黒人はかつてアフリカ影響下のクレオール語を話していたが、現在の黒人英語には白人英語に見られない特徴は無い。 即ち、かつては相違があったが、現在では南部の白人英語と見分けがつかない。
4. The creolist view (クレオール的見解)。 多くの言語学者が認めるようにAAVEと他の方言とは重大な相違があり、それらの相違はAAVEのクレオール起源説が最も的確に説明できる。AAVEは、英語クレオールの一つであるが、カリブ海の他のクレオール英語に観られるように、徐々に非クレオール化した変種である。 Trudgill の見解。 AAVE は今日 独立したエスニック・グループ変種として機能しており、その話者はAfrican Americansとしてのアイデンティティを持つ。AAVEの多くの特徴はアメリカ合衆国初期の黒人(the first Blacks in USA)がある種の英語クレオールを話していたという事実に起因する。AAVE と西インド諸島のクレーオールの類似性は無視できない。
[6] 単に発音上の問題です。不変beで歌ったからと言って、“Sometimes I be..”という意味を込めて歌ったとは限りません。外国語の音や文法項目が母語に無い場合に、それに近い音や項目で代用することがあります。

 

鈴木佑治先生
慶應義塾大学名誉教授
Yuji Suzuki, Ph.D.
Professor Emeritus, Keio University

 


上記は掲載時の情報です。予めご了承ください。最新情報は関連のWebページよりご確認ください。


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