第167回 Machine Translation考(その4):『雪国』の英訳Snow Countryに見る 言語相対性(Linguistic Relativity)と文学的イマジネーション(literal imagination)

 

第158回第159回第166回の続きです。言語相対性による理解、解釈の多様性は、一方、創造性(creativity)、想像性(imagination)、文学的イマジネーション、他方、多義性(polysemy)、曖昧性(ambiguity)、誤解(misunderstanding)といった正と負の結果をもたらします。今回は正の部分に焦点を当てて翻訳の難しさに迫ります。

筆者は1974年、川端康成、谷崎潤一郎、三島由紀夫らの小説を英訳したEdward Seidensticker 氏の講演 (School of Languages and Linguistics, Georgetown University主催)を聞きました。川端康成の1968年ノーベル文学賞受賞はSeidensticker氏の英訳に負うところがあったと言われ多くの聴衆
が詰めかけました。川端独特の世界を字義通りに英訳しても英語話者には分からないので何度も練り直したと述べていました。『雪国』の翻訳Snow Countryでは、書き出し2文の

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」

から相当苦労したようです。Google Translation (GT)は、

“After passing through a long tunnel on the border, it was a snowy country. The bottom of the night turned white.”

と字義に近い翻訳をしています。Seidensticker氏の翻訳は、

“The train came out of the long tunnel into the snow country. The earth lay white under the night sky.”

です。

1文目の「国境」と「雪国」です。GTは「国境」を国と国の境という意味合いが強い “the border”としていますが、実際には、本州を縦に貫く山脈に隔てられ、冬は深い雪に埋もれる日本海側(雪国)と対照的に晴天続きで乾燥した太平洋側を隔てる境界“the boundary”を指します。音読みで「コッキョウ」と読むか訓読みで「クニザカイ」と読むかの議論もあるようですが[1]、そもそも雪国の「国」は、古くは奈良・京都を中心に西を西国、東を東国と呼んだ名残を留め、アメリカの東部、南部、西部などと同様に、地帯、地方、地域のことで英語では“region”です。ここでいう「国境」は “the regional boundary”ということになりますがどうもしっくりしません。それを避けてかSeidensticker氏の英訳には「国境」に当たる語がありません。「雪国」は字義通りに“the/a snow country”と訳されています。本来なら降雪(豪雪)地帯 “the/a snow(y) region”のことですがこれもピンときません。

この作品は1935年から13年間連鎖記事として書き継がれて完成したようで、当時の「雪国」の状況を知らなければ作品のセンチメントが分かりません。

「国境の長いトンネル」とは、「関東の土木遺産」と称するサイトにあるように、上越地方と関東地方を壁のように隔てる谷川連峰の真下を貫く旧清水トンネルです。1931年に開通し、その直後、川端はトンネルを抜けた先の湯沢町(越後湯沢温泉町)を訪れてこの作品を書きました。現在では上越新幹線で新たに掘られた直線トンネルをサット抜けるとスキーリゾートとして有名な越後湯沢がありますが、当時は冬になると豪雪に閉ざされた侘しい温泉町でした。東京を発ち、空っ風が吹く上州沼田を抜ける頃には日が暮れて夜空に星が輝き始めたでしょう。[2]やがて列車は山岳地帯の山間部をぬうように走り、(旧)清水トンネルに入ります。その中を蒸気機関車は苦しそうにゆっくり急勾配のループを登り、[3]トンネルを抜けた先がこの作品のオープニング・シーンです。あたりは突如雪景色、空には雲が立ち込めて深い闇、ただ一面積もった雪だけが白く光ります。

Seidensticker氏は、最も苦労したのが、2文目の「夜の底が真っ白になった」であったそうです。タイトルが「雪国」、情景設定の役割を担う非常に重要な文です。和歌、俳句の侘び寂びの世界に近いものがあります。改めてSeidensticker氏のこの文の翻訳を見てみましょう。

“The earth lay white under the night sky.”

名訳です。

ここで、第159回John Haugelandが物語(Khoja/蛇と農夫)の解釈・理解に作用するとした意図、常識、状況、存在に関する4つのホリズム(holisms)を集約した状況的法性(situational holism)の出番です。筆者なら次の状況的法性(situational modality)を通してこの2文を読みます。1930年代を想像します。主人公が住む経済的に潤う東京周辺の関東平野の明るい華やかさ[4]、 対照的にトンネルを越えた先に広がる冬は雪に埋もれた豪雪地帯の物悲しい重苦しさが浮かびます。[5] 星空と雪空が象徴する対比です。乾燥した好天、雑踏、瞬く間に過ぎゆく時間の動の世界と、湿った豪雪、過疎、止まったかのような時間の静の世界との対比です。アインスタインの相対性理論を連想させる文学的空間と時間の相対性です。

さらに、次の状況的法性(situational modality)を重ねます。夜を一つの入れ物に例えるメタファ(隠喩)です。トンネルに入る前の入れ物の底は暗く、上は際限なく明るく澄み渡ります。トンネルを抜けるや、入れ物は上下逆さまになり、上は暗く狭く、底は雪で白くなり横たわります。

そうすると、Seidensticker氏の噛み砕いた翻訳より、GTのメタファをそのまま残した翻訳

“The bottom of the night turned white.”

の方が筆者の状況的法性(situational modality)に適い、筆者自身の経験と想像を自由に解き放してくれます。Seidensticker氏の翻訳は、原作のメタファをわかりやすく噛み砕いている分、筆者自身のメタファ的イマジネーションを制限してしまいます。しかしながら、文学的イマジネーションの世界ですから、どちらが正しい、正しくないというのではなく好みの問題です。

1文目に戻ります。「国境の長いトンネルを抜ける雪国であった」の「と」の翻訳です。この文のG T翻訳は、

“After passing through a long tunnel on the border, it was a snowy country.”

 “after ~ing”を使っています。このままでは、“passing”するのが主文の主語の天気や状況を表す非人称“it” になり少々奇妙(awkward)です。文脈からトンネルを抜けるのは “the train” (列車)ですから、“after our (his/ the) train passing ..”としたいところです。Seidensticker氏は、原文に明記されていない“the train”(列車)を主節の主語に編成し翻訳しています。原文には主節にも従属節にも主語がありません。日本語の難しいところです。

The train came out of the long tunnel into the snow country.”

そして、自動詞“came”+前置詞句“out of ~ into~”で表現しています。非常に明快な英語的表現です。ちなみに、「出て」を “go”ではなく“come”としているところにも注目です。「今(そっちに)行くよ。」は、“I’m going now.”ではなく、相手方から見て“I’m coming.”です。 したがって、“The train came out of~”は、トンネルを抜けた側の視点に変えてしまいます。これについては後述します。

改めて、『広辞苑』(岩波書店 新村出編 初版は昭和30年)そして『国語辞典』(角川書店、時枝誠記、吉田精一編 初版は昭和48年)で、「と」の原義と用法をチェックしてみましょう。

 

『広辞苑』接続助詞。1用語の終止形について、動作と動作が引き続いて起こることあるいは習慣的に起こることを表す。主に江戸時代以後の用法。例:「私の留守になる酒ばかり飲もうで」「雨が降る道がぬかる」2軽い逆接を表す。古語に多く用いられる。~とも。例:「嵐のみ吹くめる宿に花すすき穂にいでたりかひやなからむ」
『国語辞典』節助(詞)。 1動作と動作が引き続いて起こること、あるいは習慣的に起こることの条件を示す。江戸時代以後の用法。例:「腰をかける、窓を閉めた」、「谷へ降りる、水がある」、「私の留守になる酒ばかり飲もうで」2古語。軽い逆接の条件を示す。~としても。例:「穂にいでたり、あひやならむ」

両辞典とも、接続助詞「と」は「動作と動作が引き続いて起こることを表す」としています。動作とは意図的な行動(action)です。『国語辞典』の例文「腰をかける窓を閉めた」は、「腰をかける」「窓を閉める」という2つの行動(action)の接続でピッタリです。しかし、『広辞苑』の「雨が降る道路がぬかるむ」の「雨が降る」「水がぬかるむ」は、2つとも過程(process)で意識的行動(action)ではありません。また、『国語辞典』の「谷川に降りる水がある」の「谷川に降りる」は行動(action)ですが、「水がある」は状態(state)です。これらの辞書にはありませんが、例えば、「森林がある空気がきれい」では「森林がある」「空気がきれい」は2つとも状態(state)です。よって、これらの辞書がいう「動作」に代わり、行動、過程、状態全てを含む出来事または事象が継続して起こることを表すと言えそうです。「トンネルを抜ける雪国であった」は「トンネルを抜ける」は行動で「雪国であった」は状態です。例文の「谷川に降りる水がある」と同じで、その過去形「谷川を降りる水があった」にピッタリです。

ただし、これらの辞書が指摘するように、「谷川に降りる水がある」の「と」は条件“if”の意味合いがあり、「谷川に降りれ水がある」に言い換えられます。しかし、「谷川に降りる水があった」では「谷川に降りる(た)」「水があった」は仮定ではなく事実として表現されています。条件文にするには「谷川に降りれば水があった」ではなく、「谷川に降りれば水があったのに」と仮定法に言い換えなければなりません。2つの事象を事実として淡々とつなげているだけです。「トンネルを抜ける雪国であった」もそれに当てはまります。[6]

この部分のGT翻訳は、“after~ing”を使い時間的順序に拘っていますが、Seidensticker氏の翻訳は「習慣的」事象の連続を淡々と述べています。作品を進むにつれ、主人公島村は何度か列車で冬の雪国を訪れ、これらの事象を何度か体験していることが示唆されています。日本文学に精通しているSeidensticker氏は、敢えて、“when the passed through~”とか“after passing~”と訳さず、上述した意味で淡々と[7]した風景描写と捉えて訳したものと考えます。冒頭に述べた、トンネル前の夜空が明るい世界が、トンネル後の夜空が暗く覆われ底が真っ白な世界へと変わる過程(process)に目を向けさせるために“came out of ~ into ~”と過程を表す自動詞句で伝える選択をしたのかもしれません。

そう考えると、2文目「夜の底が白くなった」の「白くなる」という過程(process)につながります。その意味でよく考えた翻訳であると思いますが、Seidensticker氏は、“The earth lay white under the night sky.”と、lay(lie)という状態(state)を表す動詞を使っています。それに反し、GTは字義通り“The bottom of the night turned white.”とし、“turn(white)”という過程動詞(process verb)を使っています。「夜の底は白くなった」とした川端の真意はいかに?と問いたくなるところですが、それぞれの読者がそれぞれの状況的法性で解釈・理解するわけで、Seidensticker氏は、英語読者が持つであろう状況的法性に沿い「地は夜空の下に白く横たわっていた」に言い換えて英訳したのでしょう。

同文中「夜の底白くなった」の格助詞「が」の解釈も複雑です。幾つか用法がありますが、この文では主格(主語)を示すものです。

『広辞苑』名詞及びこれに準ずるものについて主語を表す。体言(*活用しない自立語、名詞・代名詞・数詞の総称/用言=活用する自立語、動詞・形容詞の総称)に相当する句(*名詞句など)の中の主語を表す。*=筆者加筆
『国語辞典』主語を示す。「雨降る」

ちなみに、「君世」、「寝るごとく」、「すし食いたい」、「去り難い故郷を去る寂しく」などの用法があります。奥が深いですね。

主語を示す「が」に近い格助詞に「は」があります。もしこの文が「夜の底白くなった」であったらどうでしょうか。「夜の底白くなった」と大分違ってしまいます。『広辞苑』と『国語辞典』は次のように述べています。

『広辞苑』「わ」(「は」には無い)この助詞は、主格・目的格・補格などの区別を示す働きがない。他と区別して取り出していう意を表す。「象鼻が長い」
『国語辞典』「は」叙述の題目をそれと限定して提示する語。「太陽東から出る」事柄を他と区別して取り出す意を表す語。また、話題の範疇を限定する。「ビール飲むが酒飲まない」「東京神田の生まれだ」「が」が叙述の主体を表すだけであるのに対し、「は」は叙述の内容がそれに限定されていることを示すという違いがある。

『広辞苑』の例文「象長い」の「は」と「が」を巡り日本語学界で様々な解釈が飛び交いました。この文の主語は象なのか鼻なのか難しい問題です。これらの辞書は「は」は主格を示すものではなく、題目を限定し、ハイライト(highlight)する機能であると分析しています。「太陽東から出る」では、題目として限定された「太陽」がたまたま主語であるだけで、本来なら「太陽東から出る」という文の「が」であるべきところ、「太陽」をハイライトするために「は」に置き換えているというわけです。

ここで「僕学生です」と「僕学生です」の2文を比べてみましょう。確かに、前の文の「僕は」は主語としてハイライトされます。後の文の「僕が」は単に主語としてではなく、誰かと比較・強調され「僕こそが学生です」という意味合があり、「僕は」以上にハイライトされます。「夜の底白くなった」は、何かと比較され強調されています。それは冒頭述べた、上(空)が明るく底(地表)が暗闇だったトンネルに入る前の景色に、上(空)が暗く下(地表)が雪で白くなったトンネルを抜けた後の景色を比較し強調したものと思います。この「が」によって、単なる主語ではない比較・強調を伝えたかったのではないでしょうか。

もう一度、Seidensticker氏翻訳の“The train came out of the long tunnel into the snow country.”の“the train”に戻ります。今度は定冠詞“the”です。上述したとおり、原文「国境の長いトンネルを抜けると」には“the train” に当たる「汽車」はありません。主人公島村が乗っている汽車ですから、敢えて言うなら“the train which Shimamura rides”すべきところです。しかし、島村の名は2つ先の文「向こう側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落とした。」まで出こないので、単に“the train” としたのでしょう。

英語でも日本語でも乗り物とその乗客を一体化します。(逆)換喩(metonymy)でしょうか。“He took Route 66 to Chicago.”「彼はRoute 66でシカゴへ行った」では、実際には彼を乗せたのはcar/自動車であり、“They flew to Virgin Island.” 「連中はバージン・アイランドへ飛んだ」ではairplane/飛行機であることが分かります。しかし、この原文では当時の鉄道で最長のトンネルの中を喘ぐように走り抜ける汽車にハイライトを当てたかったのでしょう。その意味でもSeidensticker氏が“the train”としたのは頷けます。

それは、この作品が作者川端の視点から書かれたものか、主人公島村の視点から書かれたものかに関わります。ロラン=バルトは、『物語の構造分析』で物語行為は3つの視点のいずれかでなされるとしています:(1)作者個人の(物語外部の)視点、(2)絶対者の(登場人物すべての内部を知り、一人に独立できない)視点、(3)登場人物(が知りうる)の視点。『雪国』がどの視点から書かれたかはとても曖昧です。(1)ではなく、時には(1)の視点から、時には(2)の視点から、ふたつの視点を行ったり来たりしているような印象を受けます。この書き出しの1文にも、そうした曖昧な視点から主語の明記を避けている様にも思えるのです。そうであるなら、GT翻訳は、英語としては不完全でも、主語を特定していない点、原作に近い気がします。一方、Seidensticker氏訳の“the train”は、このトンネルを何度も行き来した作者個人の視点(1)を意識付けます。

このように、H TであれM Tであれ、翻訳とは、正しい、正しくないという問題を凌駕し、文学的想像(literal imagination)を許容する奥の深い世界であることが分かります。これは文学という無限の想像と創造を許容するジャンルでは、とても素晴らしいことです。大いに悩むべきです。H TであれM Tであれそれへの挑戦です。これが絶対正しいという翻訳は無いのです。

 

2022年起稿

 

[1] かつての「越後国」と「上野国」の境のことで「クニザカイ」が正しいとの主張に対し、「信越国境」は「コッキョウ」と読む、との反論などがあります。
[2]沼田八景雪の常設連峰」反対側に湯沢温泉があります。
[3]「新潟観光おすすめブログ:国境の長いトンネルを抜けると・・・
[4]お好み時間・1930年代の東京
[5]昔の除雪・雪下ろし」昭和初期の雪国冬の豪雪風景。
[6] また、「と」は続く主節の内容が(この書き出しのように)予期せぬ展開であることを表します。
[7] 川端はLost Generationを代表するHemingway(同年配)らのシンプルな表現手法を意識したかもしれません。

鈴木佑治先生
慶應義塾大学名誉教授
Yuji Suzuki, Ph.D.
Professor Emeritus, Keio University

 


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