第166回 Machine Translation考(その3): 言語理解(Language Understanding)と翻訳(Translation)に見る言語相対性(Linguistic Relativity)

 

Machine Translation(MT)については様々な批判がありますが、グルーバルコミュニケーションに多大な影響をもたらすことは確かです。第158回Google Translation(GT)の新バージョンGoogle Neural Machine Translation (GNMT)について (その1)そして159回:Machine Translation考(その2):Google Translation(GT)—新バージョンGoogle Neural Machine Translation (GNMT)のStrengths & Limitationsで、MTを代表するGT最新版Google Neural Machine Translation(GNMT)を取り上げましたHuman Translation(HT)に比較すると、最先端のGNMTをもってしてもMTが未だ不完全あることは明らかですHTヒトの知能MTAI(artificial intelligence人工知能)依拠します。ヒトの知能神経系(the neural system)の産物であり、創造(creativity)、想像(imagination)、柔軟(flexibility)に富んでいますがGNMTに内蔵されたヒトの神経系を模したニューラル・ネットワーク(neural network)は、それに追いついていないからでしょうもっとも追いつけるかどうか疑問です少し近づきつつあることは確かでそれほど高度な翻訳を要しない日常のやりとり役立っていますこれまでにヒトは多くのモノ、制度を作ってきましたが、最初から完璧なものはなく、使いながら改良してきました。MTその道を辿るでしょう    

第158回そして第159回で紹介したGNMTに関する批判記事MTは不完全で公的言説や文学的言説などの参照枠(frame of reference)として使われることへの危惧を示したかったものと思われますそれには異論ありません。ただ、これらの記事HTを引き合いに出しMTの不完全さを指摘していますがもしHT完全であるとの前提での比較であるとしたら異論を挟みたいところですというのは、HTも100 %とは言わぬまでもどの程度正確に原作を翻訳しているか疑問あるからです翻訳者はまず原作を読理解しますが、原作者の意図を100%正確に理解するのは不可能で、それに基づく翻訳も同じことが言えます。すなわち、これら批判記事が指摘するMT(GNMT)の問題はHTにも当てはまり、翻訳(translation)自体が抱える問題です結論を先に述べると、言語相対性に起因する問題であるからです。 

Albert EinsteinTheory of Relativity(相対性理論)[1]は、思考実験(thought experiments)[2]を重ね、それまでIsaac Newton示した、時間(time)とか空間(space)不変で絶対的なと捉える考えを覆し、相対的なもの捉えて物体の動を探りました相対性理論はカーナビなどの機器にも応用されており、8 Ways You Can See Einstein’s Theory of Relativity in Real Lifeなどの無料サイト幾つか実例を紹介しています絶対(absolute)不変とされてきた空間時間などの事象相対的(relative)で変化する、即ち、他の事象と相対的に変化しつつ存在するということになります。物理的事象相対的であるとしたら、文化・社会・心理的事象である言語が絶対的、普遍的であるとは考えにく相対的であると考える方が自然

言語学、人類学、記号学の分野で、Einsteinと同時期に活躍したEdward Sapirとその弟子Benjamin Lee Whorfが、後にThe Sapir-Whorf Hypothesisと称する言語相対(linguistic relativity)を展開しました。の名称はEinsteinの相対性理論に影響されたようです。時間と空間、物体の速度と重量などの間の相対性に倣い、言語(構造)と思考(thought)の関係における相対性を説きました。[3]SapirWhorfが生前に打ち立てた理論ではなく、死後この師弟の書いたものをまとめて編纂されたもので、その解釈には strong versionweak versionがあります。

前者(strong version)言語が思考・認知を決定するという主張です。言語的決定論(linguistic determinism)とも称され、物事をどのように認知・思考するかは言語構造が決定する(determine)いう考え方ですMayflower号でアメリカ東部Massachusettsに移住したピューリタン(Puritans)のカルビン主義(Calvinism)神学における救済は神からの宿命(predestination)る決定論(determinismを連想させるかのごとく、人の思考は言語構造の宿命的結果ということになます。言語の構造の違いが思考の違いを生むので理論上外国語学習や言語間翻訳は不可能ということになり、strong versionは支持されていません。[4]後者(weak version)は、言語(構造)は単に思考・認知に影響を与えるというものです。1970年代後半からweak versionを実証する多くのエビデンスが寄せられています。[5]20世紀後半の科学技術の進歩によりEinsteinの相対性理論を実証するエビデンスが寄せられているの似ています。

第163回164で触れましたが思考の神経学(neurology of thinking)[6]を探索すると、思考・認知の媒体(media)は言語だけではなく味覚、嗅覚、視覚、聴覚、触覚の5感覚に対応する諸媒体の総合的作用であることが分かります。重篤な言語障害を負っても思考・認知活動が続くので、言語的相対理論のstrong versionは誤りです。そうした点を踏まえると、言語が思考に、そして、思考が言語に影響を与えるとするweak version神経学的にも頷けますまた、外国語学習の関連で本稿のテーマであるtranslation掘り下げればweak version言語相対理論を裏付ける例は多数見つかることでしょうかしながら、上述した通り第158回そして第159回を執筆中に目にしたMachine Translation(MTに対する批判記事は言語相対なものではなく、絶対的、普遍的不変的なものと捉える論調を採っているように見受けられました同一言語間においても、ましてや、 翻訳を通しての異言語間における言説の解釈絶対的、普遍的、不変的なものはありません。ある言説の解釈は十人十色、他言語への翻訳十人十色でHTが絶対的であるとの前提でMT批判するのであれば、まず、その前提からして間違いです。HTも十人十色の翻訳を生み、そみ手も十人十色の解釈をしますすなわち、言語(構造)が相対的であるからには、ある言説について解釈相対的であり他言語への翻訳相対的であり読者の解釈も相対的ということになります

確かにMT(GNMT)HTに比べ第158回第159回紹介したような不完全さが目立ちますがHTアウトプット絶対的で完全ではないということです。これらMT(GNMT)批判記事は、MTHTアウトプットの違いついて事細かに比較しているもののHTM Tがそれぞれ原作どのように理解するかについては通り一変比較に終始し物足りません。一例を挙げるとHofstadterMTHTによる中国語の房行走の翻訳に関しHTでは翻訳者(Hofstadter自身)房行走まつわる百科事典的知識を基本にそのメタファを解釈・理解し翻訳るが現在のMTでは字義通りの翻訳しかできないと指摘するに留まっています。これだけではHTの優位性が強調され、そのアウトプット絶対的な参照枠あるかのような印象を与えてしまうかもしれません 

第159回哲学者かつAI研究者John Haugelandが4つのホリズムを通し中東の伽噺などから字義を超えたモラルを理解するとの指摘を紹介しました。また、Roman Jakobsonsegodnya vecherom”(good evening)というたった2語40通りのmessagesを生成したKonstantin Stanislavski(元モスクワ劇場役者)それを聞き40通り聴き分けモスクワ市民のエピソードを通しヒト字義(literal meaning=denotation)から状況に絡め何通りもの情緒的含意(conveyed meaning=connotation)を生成理解する能力を有することを紹介しました。 

いずれもヒトは字義を超え言説の生成理解能力を有することを究明しています。Haugelandは現在(1990年)のAIにはそうした能力が無いと指摘しました。[7]Jakobsonの例は役者の40通りのメッセージを視聴者が聞き分けたとありますが、それは常套的表現を巡ってのこと、ヒト同士のコミュニケーションにおいても内容が複雑なるにつれ発信者の真意が受信者に理解されず、齟齬・誤解が生じる可能性が高まります。言語相対からくる宿命 

HTにおいて翻訳者原作の解釈・理解、それに基づく翻訳相対的で、どの程度正確に作者の意図を反映しているか疑問です複数の翻訳者による同一作品の翻訳が微妙に違うのはその為です。HT言えども、原作の解釈それを受けての翻訳が必ずしも原作者の意図100%反映するとは限らずブレが生じます。その翻訳の読み手もそれぞれ独自の解釈をするのでブレが生じ言語が相対的であり絶対的なものではないことから生じる結果です。ただし、日常コミュニケーションでMTを使う際、指摘されるようなブレがあることを前提に様々な方法で補完しますそれを踏まえた上で建設的なMT批判であれば将来に繋がります[5]

要するに、HTであれMTであれ、次の3つのStepsを踏みますStep 1 Language 1(L1)で書かれた原解釈・理解する。Step 2: Step 1で解釈・理解したものを Language 2 (L2)翻訳する。翻訳作業はここまでですが、非常に重要な部分としてStep 3: L2話者である聞き手・読み手Step 2での翻訳結果をどのように解釈・理解するかます取り上げMT批判Step 3に関連するものです 

第158回でも述べたとおり、コミュニケーションにおいては、当事者コミュニケーター間で、例えば、AとBなら、ABABAB…のように、A発信(メッセージ生成)B受信(メッセージ解釈・理解)しBが発信(返答)→Aが受信とのなるサイクルが続きます。AもBも発信者(メッセージ生成)・受信者(メッセージ理解)の二役を演じます。この際に当事者それぞれの価値観がメッセージの生成においても理解においてもスクリーニング機能を果たしますこれを広義の法性(modality)、すなわち、コミュニケーションのメッセージに現れる心的態度と称します。この法性(modality)自体が非常に相対的で予測不能です。社会文化の多様性、構成要員である個人の多様性、はたまた、状況による多様性から容易に察せられますHaugeland はこれを状況的法性(situational modalityと称しています。[9]

Step 1における翻訳者による作の解釈理解は翻訳者独自の法性(modality)が反映されたもので相対的です。作者意味(meaning)または意図(intention)したところとうという可能性も十分ありえままた、Step 2においても翻訳者の頭の中で行われる、対象言語であるL2(second language)を介する解釈・理解と母語であるL1(first language)を介する解釈理解が合致するとは限りませんその上翻訳独自のL2社会文化関する解釈・理解が独自の法性(modality)として作用し翻訳に影響を与えますStep 3においては、そのL翻訳アウトプット目にし耳にするL2話者たちそれぞれが独自の法性(modality)それを解釈・理解することになりますこうしたStep 1からStep 3までの過程MTはおろかHTでさえ、解釈・理解における齟齬違い生じるのは自然の成り行きです良きにつけ悪しきにつけ、作でのメッセージの意図・意味とは全く違うものが伝播される可能性は大です。これが翻訳の難しさと言えるでしょうHTも決して完璧ではないのです。過去の外交史では翻訳が齟齬から齟齬を生んで悲劇に繋がったケースがあります。また、翻訳が新たな解釈と理解を生み世界的文学賞に繋がった例もあります。別稿2つを立てて紹介します。

2022年2月28日記

 

[1] 初期の特殊相対性理論(special theory of relativity)と後の一般相対性理論(general theory of relativity)があります。
[2] 頭の中で想像することによる実験です。地上にある時計と光の速さで飛行する乗り物の中の時計を想像上に比較し、時間の相対性を導き出しました。具体的エビデンス(光の速さで走る乗り物に乗って得られるエビデンス)の欠如した空想と切り捨てる方法論から生まれない理論です。そのほか、空間が重力により曲がることからブラックホールの存在を解き当てるなど、思考実験は一方法論として確立しています。
[3] LSA(Linguistic Society of America)の“Language and Thought”と称するサイトがその要点を簡単にまとめています。
[4] 1960年代に教育学者Basil B. Bernsteinはこの仮説のstrong versionを曲解した言語政策を提唱しました。言語変種を洗練コード(elaborated code)と制限コード(restricted code)に分け、Standard English(SE)を前者、African American Vernacular English(AAVE)を後者に分類し、アフリカアメリカ系児童の教育の遅れはAAVEの使用にあると考えてS Eの使用を推奨しました。 William Lavovら社会言語学者はAAVE話者の調査を通してそうした主張の誤りを指摘しています。第161回第162回でも述べたとおり、AAVEはリッチで奥の深い変種です。構造上の詳細はR. FasoldのThe Sociolinguistics of LanguageThe Sociolinguistics of Societyにもあります。
[5]これら2つのversionsの存在そのものが解釈・理解の多様性を実証します。特にweak versionは多様性に繋がります。
[6]  Neurology of Thinking (D.F. Benson)など勧めます。拙著Exploring D. F. Benson’s Neurology of Thinking: A Search for the Neurological Foundation of Communication and Language (English Edition) Kindle版で言語コミュニケーション論の視点からレビューしました。現在、その日本語版を言語コミュニケーション小冊子に分けて執筆中です。 次の2冊は完成しました。「D.F. Benson 著『思考の神経学』と⾔語コミュニケーション(1) 背景的考察」 Kindle版、「D.F. Benson著『思考の神経学』言語コミュニケーション(2)思考に影響を及ぼす低次神経疾患と言語コミュニケーション」 Kindle版。
[7]その他、第159回で挙げたJohn Searleの“Indirect speech Acts”P. Griceの “Logic and Conversation(Implicature) , D. Gordon and G. LakoffのConversational Postulates、そして、George LakoffのWomen, Fire, and Dangerous Thingsはも字義を超えた意味を扱っています。
[8]HaugelandとJakobsonらはヒトのコミュニケーション・メカニズムを追究し、メッセージ生成・理解がいかに相対的、創造的で多様であるかを例示し説明しています。HaugelandはAIのアルゴリズムが絶対的アウトプットを求めている限り、ヒトの理解に近づけないと述べています。
[9]後半にある Haugelandの“situational modality”を参照してください。詳細に関心ある読者は、本コラム第110回「コミュニケーションは膨大なフロンテフィア」を参照してください。また、拙著「言語とコミュニケーションの諸相: 理論的考察から言語教育まで 』(テキスト) Kindle版、同じく、拙著The Semantics of the English Modals: A Case of Multi-sensory, Multilateral Generation of Meaning in Communication (Revised Edition) (English Edition) Kindle版でも詳しく説明しています。

鈴木佑治先生
慶應義塾大学名誉教授
Yuji Suzuki, Ph.D.
Professor Emeritus, Keio University

 


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