2022年6月に開催されたトークイベント「コロンビア教育大学院Teachers College留学 小林さやかさんの新しい挑戦」は参加人数70名限定のイベントでした。多数のお申し込みをいただきましたが、当選人数が限られていましたので、ご出席できなかった方に講演の一部をトークスクリプトにしてお届けします。何かを変えたい、自分自身を変えたい、と挑戦されている方たちに熱く語ってくださったさやかさん。幼少期から留学の夢を実現されるまでのエピソードがたっぷり詰まっています。
やりきる力、モチベーションの作り方
それは、もう本当に坪田先生の存在が大きかったですよ。一言で言うと、ワクワクさせてくれる。そんな大人と出会えた感じでした。当時、大人が本当に嫌いで、私の見た目ばっかり見て….校長先生の部屋に呼び出されたこともあるんです。その時まで校長と直接喋ったこともなかったんですよ。初めて喋るおじさんだった訳です。その人にね、こう、虫けらを見る目で見られて….。今も覚えてるんですけど、「お前って人間のクズだな」と。「我が校の恥」って言われたんです。初めて喋るおじさんにそんなこと言われなきゃいけないの!と思ってすっごいムカついて、それで見下しちゃったんですね、逆に私の方が。大人って本当、基本的に、外側しか見ないんだなって、絶望したんです。
学校行く意味ってなんなんだろ、勉強って何のためにするんだろう、ってなったんだけど、坪田先生との出会いで、こんな大人がいるんだな。世界って結構捨てたもんじゃないかもと思ったのが、高校2年の夏でした。先生に出会わなかったら私、大学にも行かなかった。高校出たら大学行かずに働こう、早めにお母さんになりたいな、と思っていました。その考え方をガラッと変えてしまったのが、この坪田先生です。昨日ちょうど坪田先生とお話して、その時言われたのが、「さやかちゃんって思い込み激しいよね」ってこと。最初ディスられてんのかなと思ったら「違うよ、だからうまくいくんだよ」って言われました。私、思い込みが激しいの。素直を通り越して思い込みが激しいのだけど、これってすごく重要な資質なんじゃないかなって思ったんですよね。受験勉強でうまくいったのは、思い込みが激しかったっていうことかな、と思います。
私の話を聞いてくれた初めての大人だったからです。家の近くにあった小さな塾に、坪田先生がいたんですね。高校2年の夏に坪田先生の塾に初めて行ったんですけど、その理由が、うちの弟が野球少年で、野球辞めたいという兆しを見せ始めた時期で….。母が弟のために何か別のことを見つけてあげたいなと思って、バドミントン初めてみたら?塾に行ってみたら?って。一生懸命野球に変わる何かを弟に見つけてあげようとしていました。それで、お母さんが弟のために面談の日を取っていたんですけど、弟は「死んでも塾なんか行かねー」って言うんで、代わりに私が行くことになったんです。その日たまたま合コン入ってなかったんで(笑)
ふらっと行って、すぐ帰ろうと思ったら坪田先生が部屋に入ってきて「あら、さやかちゃん、そのまつげ一体どうなってんの?」って聞いてきたんです。学校の授業中暇だから、マスカラを塗り続けてたんです、私。塾の授業中に1時間ずっと「こうやって作っているよ」って説明して….でも先生が怒らなかったんですよ。落とせって言われなかったんです。それで私は一瞬で心開いちゃって、この大人、なんでも聞いてくれそうだな、なんか色々なこと教えたいって気持ちになって、ジャニーズのこととか友達のこととか元彼の話とか2時間くらいずっと話しました。それで、先生がゲラゲラ笑って聞いてくれて、最後の最後に、「君、東大興味ある?」って聞いてきたんです。当時の私は「東大?イケメンいなさそうだし(東大出身の人、ここにいたらごめんなさいね)って、すごく偏見なんですけど」そうしたら「なるほどね」って先生がなぜかすごく嬉しそうで。「じゃあ、慶應って聞いたことない?慶應大学はどう?」って言うんです。その時は、「慶應って言ったら櫻井翔くん」っていう情報しかなかったけど、「櫻井翔くんが通っているところだったらイケメンいっぱいそうだな」と思って、「慶應だったら行っても良いかな」というそんな気持ちで「慶應行きます」って行って帰宅しました。
数字で言うと、1日15時間勉強しました。実は高校の授業が私には難しすぎてついていけなくて。中学受験をして中高大一貫校だったので、「もう2度と受験しなくていいじゃん、最高じゃん」って小学校の時に思って頑張ったので、受かった瞬間に勉強やめちゃったんですよね。それで平気で学年ビリの成績をとるようになっちゃったんだけど、その頃に坪田先生と出会ったので、最初は小学校4年生のドリルからはじめましたね。本当にそこまで戻らないとできなかったんです。英語も同じでしたけど、自分には難しすぎることをやってしまうとモチベーション下がっちゃうんですよ、モチベーション下がっちゃうと一番ダメなんでね。坪田先生の教えは、心理学的なアプローチで、とにかくモチベーションが下がらないようにするために自分のレベルにあったことをやらせてくれていました。具体的に言うと6割マルが取れるところから戻ってやるっていうのが先生のやり方でしたね。そのルールに従うと私は小4のドリルまで戻らなきゃならなかったんです。
それで相変わらず高校の授業はわからなかったので、学校で寝るのが一番効率的じゃんって思ってしまったんですね。純粋に。今日高校生もいるので、真似しちゃだめよ、と思いつつも、私はそこまでしないと受験に間に合わなかったので学校で4コマ分、4時間寝る時間にあてました。それで家と塾では一睡もしないで勉強して1日15時間。これをまあ1年続けましたね。それくらいやらないと間に合わなかったです。ここで皆さんに聞きたいんですけど、「この人信じれるな」っていう人ってどういう人ですか?ちょっと考えてみてほしいんです。横山さんはどうですか?
なるほど。私の場合は、信じられる人ってシンプルに約束を守る人だと思うんです。言ったことをちゃんと実現する人って信頼におけますよね。仕事していてもあの人約束しても全然時間通りに来ない、という人は信頼できないですからね。だからシンプルに言ったことを守る人とか、決めたことを実現する人が信じられるって思っているんです。じゃあ、自分を信じるのにどうしたらよいか。それは、どんな小さなことでもよいから自分との約束を守るっていうことから始めないといけないと思うんです。例えば明日何時に起きるとか時間通りに必ず行くとか、誰かとごはん食べた後にすぐごちそうさまでしたってメール送るとか、決めたことを必ずやり遂げる、どんな小さなことでも。それを積み重ねていくとだんだん自分に対しての信頼度が増してくるんですよ。
私の場合は、中学受験のときに自分に対しての信頼貯金みたいなのが結構出来たと思っているんです。小学校の時、友達もいない、学校もつまらない、自分の人生を変えたいと思って、自分で立ち上がったんです。自分で決意する。私のことを知っている人が誰もいない世界でもう一回やり直したい、って決めたんですね。それで、自分のことを知っている人が誰もいない世界ってどこなんだろう、どうやったらそこに行けるだろうって小6の時に思って。手段としては引っ越して学区を変えてもらうか中学受験するかの2択だったんですけど、引っ越しは出来ないって親に言われたので、数か月だけ大っ嫌いな勉強を頑張って中学受験を突破したんです。この時に「なんだ。自分で決めて行動すれば人生なんて変えられるんだ」って思えて。自分に対しての信用度がめちゃめちゃ増しました。でも当時はそういう風に言語化はできていませんでしたけどね。今振り返るとそういうことだったんだろうなと思うんです。だから大学受験の時も「あの時もできたから今回もできるだろう」「櫻井翔に会いたい」そんな気持ちで「やります」って言えたんです。
自分を知り言語化することの大切さ
今日は就活中の方もいらっしゃいますものね。私大学生の時に下北沢に住んでいたんですね。「SFCなのに下北?あんまり学校行ってなかったの」と言われたりするんですけど、学校は行ってましたよ。高校生の時に、坪田先生から「君さ、人のこと大好きなの気づいてる?」って言われたことがあったんですね。「君ずっと人のことを喋ってるよ。塾では親父がムカつくとか、学校の先生まじウザイとか、友達がこうやって笑わせてきたとか、お母さん最高、大好きとか。ネガティブな話含めて全部人の話。自分の話はほとんどしていない」って。「そういう君は、絶対に人との出会いが必ず人生変えることになるから、人との出会いを大切にしていきなさい。大学に行って、東京に出たら、必ず出会いがたくさん、一気に増える」と。そう言われて「ああ楽しみだな。私は人が大好きなんだ」って思って、大学生活を送っていたんです。だから授業もそうだけど、大学以外のこともいっぱい楽しもうと思って、大学1年生の時から東京ガールズコレクションっていうイベントの裏方インターンをやったり、社長さんのアシスタントに付いたりっていうのをやっていましたね。私はキラキラとした世界に憧れがありましたね。
今は、何というか使命感にかられて、「泥臭いこともやっていこう」って燃えていますけど、当時はそういうキラキラがすごいモチベーションだったんです。それで色々なことをやって、何でウェディングプランナーになったかというと、就活のときに、自己分析してノートに書き込んだり、周りの人に私ってどんな人?って聞きまくってたら「私は目の前で幸せになっている人を見たい」っていうことに気づいたんです。今日のこういう公のイベントとか講演とか大好物なんでね。
でも当時は教育にもあんまり興味を示すキッカケがなくて、下北の居酒屋でバイトをしていたんです。当時の下北では長蛇の列ができることもあったんです。暑い日も寒い日も2時間ぐらい外で待っている人がいる人気店でした。たまたまそのお店のバイト募集の貼り紙をみて行ったところ、スキンヘッドのお兄ちゃんが出てきて「明日履歴書持ってこい。採用してやるから」って言われたのが出会いですね。その時、これも縁かもって思って、本当に翌日履歴書を持っていったら採用になったんですけど、バイトってホールだと思うじゃないですか。でも、実際は洗い物担当だったんですよ。泣きながら2日間お皿洗いまくったんです。で、怒号が飛んでくるんです。「この皿足りねえから早く洗え!」みたいな。もうね、とんでもないところに入っちゃったと思って、「給料いらないんでやめさせてください」って店長さんに言ったら、「あと1週間騙されたと思って続けてほしい、そうしたらサービス業の素晴らしさをお前に教えてやれる自信がある」って言われて。店長さんの目がキラキラだったから「断りづらいな」って思って。そこから1週間やって辞めようと思ったら、結局2年半。その居酒屋で私は、目の前で幸せになる人とか笑顔になる人をみるのがとんでもなく好きなんだってわかったんです。これは私の話だけど、みんなにもね、絶対ドキドキする瞬間があると思うの。それってなんなのか絶対分析した方が良い!私の場合はサービス業だった。
それで坪田先生に、将来サービス業に就きたいって言ったら、この本をすぐ買って読めって言われたのが「リッツ・カールトンが大切にする サービスを超える瞬間」っていう本。それを読んで私は次の日リクルートスーツ着て、六本木にリッツカールトンのフロントに行って「面接してください」って言いに行ったんです。そしたら「中途採用しかやっておりません。いつかご一緒できることを楽しみにしていますね」と言われて。じゃあ、私どこかで就職してここに戻ってくるぞって思って、それで一流のホテルが他になかったから、サービス業の修行は日常の世界でしかできないと思ってウェディングプランナーになったんです。リッツを超えるサービスが提供できるようになるには、ウェディング業界に入るしかないって。ウェディングって非日常じゃないですか。それでウェディング企業を片っ端から受けて、受かったところに入ったんです。この話で何が言いたいかっていうと、自分がドキドキする瞬間ってなんだろうって時間を使って考えてみてほしいんです。あの人みたいになりたいな、って思ったらなんであの人みたいになりたいのかな。何に惹かれているのかな。そういうことを言語化してみると、そこになんか道ができたり、ヒントが得られたりするのかなって思うんです。
コロンビア教育大学院で学びたいこと
キッカケは講演です。今まで500回以上やってきたんです。この前数えたら、今まで私の話を聞いてくれた人が累計25万人を超えたんです。とても多くの人に話を聞いてもらえるようになりました。その中で本当にたくさんの子供たちと対話をしてきて、悩んでいる保護者の方に悩みを打ち明けていただきました。ある日女の子が、私にこう言ったんです。「さやかさん、ラッキーですね。坪田先生に出会えてよかったですね。お母さんが信じてくれてよかったですね。私には私を信じてくれる人が誰もいないんです。だからさやかさんの話を聞いて苦しかった」「頑張りたいけど頑張れない人がたくさんいるってことを忘れないでほしい」って高校生に言われたんです。その時ね、私講演ばっかりしていたらダメなんだなって。すごくその子の言葉に何か思い知らされたという気持ちがして。講演で人をインスパイアできるような話は90分もらえたらできる。自信はあるのだけど…高校生たちの心に、火が灯ったとしても、帰宅して、お母さんに「こんな話聞いたの」って伝えたら「できるわけないでしょ」って言われておしまいなんじゃないかって思ったら本当怖くなっちゃったんです。それで、私自身がもっと学んで、悩んでいる子どもたちの周りにいる大人を変えるっていうことにもっと注力したいな、周りの大人を変える力を持ちたいなって思うようになりました。
日本の大学院で学習科学を学んだことで、「昔の私は地頭が良かったんじゃない。環境が良かったんだ」「坪田先生の指導と学校の指導はこう違ったから、あの時変われたんだ」「お母さんが小さい時からこういう言葉をかけてくれたから、あの時私は立ち上がることができたんだ」「これって全部科学で証明できるんだ」っていうことを確信してもっとこの認知科学の分野を学びたいと思ったんです。アメリカで世界中から集まる優秀な教育者の人たちと対話をしながら、私自身のバイアスをぶち壊して、アップデートさせて、日本に戻ってきたいなと思ったんです。
シンプルに坪田先生みたいな教育者を増やしたいのと、うちのお母さんみたいな保護者を増やしたい。子どもたちが「自分には無理」「夢見させんな」って思うことが本当に悔しい。だから、私のアメリカでのテーマは「科学的に証明する」っていうこと。心理学って科学だから。データがちゃんと出るから。データで「みなさんもこういう環境を子供たちに作ってあげたら、お子さんたちみんなできますから」ということを科学的に証明したい。だから私は認知科学を学びに行きたいんです。人はどうやってモチベートされるのかということを科学的に学ぶのが認知科学。だから私ができたのは、私の地頭がよかったっていうフワフワな言葉で片付けられるものではないって証明できる。当時私よりよっぽど偏差値が高かった子たちが、何の根拠もなく、慶應義塾大学の過去問すら見たことないのに「自分に慶應なんて無理無理」って言って受けなかったんだもん。正しい努力の仕方を坪田先生が教えてくれて、お母さんが私を信じてくれて、環境を用意してくれただけなの。だから、根拠もなく無理だと決めつける文化を本当にぶっ壊したい。日本人の自己肯定感の低さの原因も、ここにあると私は思っているんですよね。
TOEFL®テストは人生を変えるキッカケになる
TOEFLっていう世界で認められている共通試験がスポンサーのイベントでもあるのでこの話をするのですが、人生を変えるキッカケになるテストって、TOEICや英検ではなくやっぱりTOEFLだと思うんです。グローバルスタンダードだから、ブラジル人であっても、フランス人であっても、シンガポールに行ったとしても、「TOEFL●●点とった」という話はわかってもらえるんです。
私がTOEFLを勉強するきっかけは、スタンフォード大学がTOEFLしか受け入れてなかったので、スタンフォードを最初から受けるつもりではなかったのだけど、もし途中で受けたくなったら「勉強してなかったらおわりじゃん」って思ったことです。IELTSを勉強し初めて2〜3回受けた頃にTOEFLに切り替えました。まだ英語学習も序盤だったので、IELTSでもTOEFLでも、やることはそんなに変わらなかった。初めてTOEFLを受けたのが2020年8月で、その時のスコアが62でした。120満点中の62。それで「もう留学するんだったらハーバード大学に行ってやる」って思ったんですよ。ハーバードも、スタンフォードもコロンビアも、トップスクールに行くってなったら100以上取らなきゃいけなかった。だから長い道のりになるっていうところを覚悟するところから始まりました。
そこから、新型コロナが発生して、計画がずれたりして、もし海外留学行けたとしても全部オンラインになっちゃうかも、と言われたこともありました。1年留学の時期を早める計画もあったのですが、結果的に出願の時期は1年延ばししました。
スポーツ選手で「勝てる人」と似てますね。コーチの言うことを聞いて、その通りの練習をしていると、勝てる人が出てくるわけですが、他の誰かが勝っちゃうかもしれない。そこで、自分が勝てるように、自分の練習法を自分の力で作れる人が結果的に勝つんですよ。小林さんは、勝負に勝つために必要な時間を知っていて、結果が出るための方法に気づいていて、覚悟ができていたんでしょうね。結果的に合格が出た学校の中で、どういう分析・判断をして最終的にコロンビア教育大学院を選んだんですか?
ハーバード、スタンフォード、コロンビア、UCLA、UCバークレー、ノースウェスタン、ペンシルベニアの大学院に出願して、UCLAとコロンビアから合格をいただきました。1つでも受かれば素晴らしいし、全部落ちてもおかしくないようなところしか出願しなかったので、これ全部不合格だったら、オランダの教育大学院にも出願しようかな、と考えていました。実は、一番行きたかったのはペンシルベニア大学だったんです。ペンシルベニア大学のプログラムが私のやりたいことにピッタリの領域だったので、これまでやってきたこと、そして今の日本の教育に全然足りていない教育を科学する、効率よく学ぶために脳の構造や人の特性を知るという部分の研究ができると思ったんです。
ちなみに、もしハーバード大学に受かっていたらハーバード選択していましたね(笑)私の留学目的は日本の大人を変えたい!というところですが、日本の大人はハーバードが大好きな人多いんです。ハーバード卒業しました、というだけで話を聞いてくれる人が増えるので、日本で何かを変えたいと思ったらハーバード、やっぱり最強なんですよ。余談ですが…。
それと、これは海外大学への出願経験がある方は皆共通して感じることだと思うのですが、出願したらその大学が大好きになる。日本の大学受験と違って、点数取れば終わり、じゃなくて、相手のことも自分のこともめちゃくちゃ調べる訳なんですよ。各大学でカラーが違うので、その大学を知ればしるほど好きになる。まるで恋愛のようでした。
大学によって出願締切が違うので、出願の直前は「この大学に行きたい」ってどの学校にも思いましたね。
話は戻って。コロンビアとUCLAのどちらに決めるかにおいては、一番の決め手はUCLAは1年のプログラムだったこと。コロンビアは2年だったので、1年って一瞬で終わっちゃうなって思って。あと、私は「人との出会い」が絶対にキーになってくると思ったので、ニューヨークって言う場所は、やっぱり色々な人が全世界から集まってくるから、色々な人から刺激をもらって、そこから道が開けるだろうなと。地の利は大きく感じましたね。
参加者へのメッセージ
そうですね。留学に限らず、今日会場にいらっしゃった皆さん、人数だけ違う思いがあって、ここに来ていると思うのですけど、一番伝えたいことは「やってみなきゃわかんないよ」っていうこと。高校2年生の時に、坪田先生から「もしこのまま本当にさやかちゃんが慶應義塾大学に受かったら、周りの人は君に何というと思う?」と聞かれて「きっとみんな喜んでくれると思う、今無理だって笑ってるけど、受かったらさすがに喜んでくれると思う」って答えたら「残念ながらそうはならないよ」って先生が言ったんです。
「どう言う意味?」と思って聞いたら、「君がもし本当に受かっちゃったら、周りの人は必ず手のひら返したようにこうやって言う。「元々頭よかったんだね」って必ず君に言うようになる。私は「本当にそうかな?」と思ったんですけど、坪田先生は続けて「じゃあ同じだけの努力をして同じだけの実力をつけて、君が当日受かるはずだったのに、試験当日に熱を出して実力が発揮できなくて試験に落ちたとしよう、つまりプロセスは全く一緒で、結果だけが違ったとしようか。そしたら周りの人は君になんて言うと思う?」
「ほらどうせ無理って言ったでしょって必ず言うよ。つまりみんなプロセスなんてさほど興味がないんだ。どれだけ下から這い上がってきたのか、どんないばらの道を歩んできたのかなんて誰も興味がないし、見てもくれないんだ、世の中の人たちの多くは結果からしか判断してくれない。だから君は受かっても、受からなくても必ず悔しい思いをすることになる。だけど、何が一番重要か、それは死ぬ気で努力をしたっていう経験を君自身が持っていることが一生の宝になるということ。何を言われても、もうやりきれ、それが必ずその後の人生で宝になるから」と。その時「先生何言ってるの」と正直全然何を言われているかわからなくて「先生、友達いなくてかわいそうだな」位に思ってたんです。だけど本当に先生が言った通りになった。合格したら「元々頭良かったらしい。進学校に通っていたらしい」と知らない人が一生懸命ネットで言うようになって、それをびっくりするくらい多くの人が信じているのを見て、「先生が言った通りになった」って。それで、子どもたちの明日を潰してほしくないなと思ったから「大人を変えよう、そうやって言っている人たちを変えたい」って思うようになったんです。みなさんも、自分の人生は自分で舵取りしたいですよね。だけど、周りの人はいろんなこと、いやいやいや、っていうことを言ってくるかもしれない、時に止められるかもしれない。だけど、やっぱりそこで、「自分はできる」って信じないと道は開けないから。意志あるところに道は開くっていう言葉、私の人生の指針になっている言葉なので、今日は皆さんにも同じ言葉をお送りして締めさせていただきたいと思います。
皆さんの未来がもっともっとハッピーに、皆さんの気持ちがもっと充足感で満たされて生きていけますように願っています。ご縁全てに感謝いたします。今日はありがとうございました。
スタッフによるイベントレポート「コロンビア教育大学院Teachers College留学 “ビリギャル”小林さやかさんの新しい挑戦」
プロフィール
1988年3月生まれ、愛知県出身、東京都在住。『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』(坪田信貴・著/株式会社KADOKAWA アスキー・メディアワークス)の主人公=ビリギャル。2010年慶応義塾大学総合政策学部卒業。2021年聖心女子大学大学院人間科学専攻修士課程修了。大学卒業後は大手ウェディング企業にてウエディングプランナーとして勤務。2014年より、ウエディングプランナーとしての活動の傍ら、ビリギャル本人として講演活動もスタート。札幌の私立高校での教育のインターンや、自身でのイベント企画・運営や執筆、YouTubeビリギャルチャンネルでの発信など、幅広く活動中。認知科学を研究するため2022年秋から米コロンビア教育大学院に留学。留学の様子は自身のYouTubeやnoteで発信中。
Twitter:@sayaka03150915
note:https://note.com/sayaka_suto/
公式HP:http://birigal.biz
株式会社アゴス・ジャパン 代表取締役
一般社団法人 HLAB 共同創設者・理事、一般社団法人 海外留学協議会(JAOS)評議員
株式会社 ワーク・ライフバランス アドバイザリーボード
株式会社 ICHI Commons アドバイザー
河合塾グループ海外大進学シニアアドバイザー
UCLA言語学卒 (1983)中学校時代をイタリア、高校、大学時代をアメリカで過ごす。UCLA言語学卒。UCLA在学中には日本人初のNCAAバスケットボールチームヘッドマネージャーとして各地に遠征。その体験談は NewsPicsで連載として紹介されている。1983年卒業後帰国。以来語学指導、留学指導に携わり続けている。1986年に大手留学支援エージェントに入社、大学進学プログラムサービスを開発し進学指導プログラムの責任者として12年間勤務。1998年より現職のアゴスジャパンにて出願指導部門の責任者から社長、会長を担い、現在はアゴス・ジャパン代表取締役。その他、アスリートに対しての研修講師、アーティストへのコーチング、就活生に向けたメンタリング活動などがあり、くもん出版社からリリースされた「英語で夢を実現していったアスリートたち」(5冊セット)、「海外で学び夢のキャリアを実現させる」(3冊セット)の総監修を担う。
上記は掲載時の情報です。予めご了承ください。最新情報は関連のWebページよりご確認ください。
学習サポート・関連情報
★公式教材を利用して目標スコアを目指そう★
目標スコア別に公式教材を利用した学習法を教材ショップのスタッフがご提案。学習の目安や各教材ごとの学習方法など、ぜひ参考にしてください。
Performance Descriptors for the TOEFL iBT® test
各セクションは0~30のスコアで評価され、そのスコアに応じて4または5段階のレベルに分けられます。このレベルはTOEFL iBT®テストにおけるCEFR levelを反映しています。
TOEFL iBT®テスト スコアガイド(Speaking)
Speakingセクションの採点基準です。上記の「Performance Descriptors for the TOEFL iBT®test」と併せてご活用ください。
SpeakingはETSが公表しているスコア基準表に沿って採点されます。採点基準はIndependent Task用・Integrated Task用にそれぞれ作成されており、Delivery(話し方)/Language Use(語彙の使い方)/Topic Development(トピックの展開)の大きく3つのポイントに分かれています。
TOEFL iBT®テスト スコアガイド(Writing)
Writingセクションの採点基準です。上記の「Performance Descriptors for the TOEFL iBT® test」と併せてご活用ください。
Writingに関してもETSが公表しているスコア基準表に沿って採点されます。採点基準はIndependent Task用・Integrated Task用にそれぞれ作成されています。
英語圏に限らず、世界160か国以上、11,500以上の大学・大学院、その他機関で活用されています。また日本国内でも大学/大学院入試、単位認定、教員・公務員試験、国際機関の採用、自己研鑽、レベルチェック、生涯学習など活用の場は広がっています。
自宅受験TOEFL® Essentials™テスト
2021年から自宅受験型の新しいテストとしてリリースされました。約90分の試験時間、短い即答式タスクが特徴のアダプティブ方式の導入されています。公式スコアとして留学や就活などにご利用いただけます。
TOEFL ITP®テストプログラムは、学校・企業等でご実施いただける団体向けTOEFL®テストプログラムです。団体の都合に合わせて試験日、会場の設定を行うことができます。全国500以上の団体、約22万人以上の方々にご利用いただいています。